12月27日 気持ちではなく記憶

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今年も残り数日となりました。私たちは今何を一番すべきでしょうか。今年を振り返ることではないでしょうか。神様のことを念頭に、この一年を振り返ることではないでしょうか。今年は、今まで誰も経験したことのない年になりました。多くのことが制限され、多くの変更が余儀なくされました。それでも、私たちの神様は変わらず私たちに対して「良いお方」であったと言うことができます。そしてこのお方に感謝をおささげすることができるのです。コロナ禍でも、神様に感謝し、神様を賛美することが可能であることを今日の箇所から確認しましょう。(詩篇103篇1~5節)

I. 祝福の賛美を伴う感謝の命令(1~2節)
「ほめたたえよ」という命令は、直訳すると“祝福せよ”となります。祝福とは、通常神様から人に賜るものですから、人から神様への“祝福”とは、賛美のかたちでの感謝ということになるでしょう。(2, 20~22節, 104:1, 35、エペソ1:3)
これは自分自身への命令です:この感謝は命令です。私たちは自然では感謝ではなく、不平が出てきてしまいます。ですから、私たちは感謝することについて意識するよう促され、思い出させられなければなりません。この命令は私たちの「たましい」に向けられています。それは神様がしてくださったことに伴う内面の(見えない)ことがらに目を向けることが含まれているのでしょう。私たちは、良いものを与えてくださる神様の愛、憐れみ、そして誠実さを覚えつつ感謝をささげるのです。
これは自分自身のすべてへの命令です:神様への感謝は、愛することと同じように(申命記6:5)、私たちの内面(心の)すべてを集中させ動員して行われるものでなければなりません。感謝(賛美)は聖なるお方におささげするものです。感謝しつつ、神様の完全さと素晴らしい(あがないの)みわざを覚えるのです。
これは良い神様を忘れないことの命令です:良い神様は、私たちに良くしてくださいます。しかし私たちはそれを忘れやすい者たちです。私たちは神様に良くしていただく時、その都度、意識的に覚え、記憶に留める必要があります。(この詩篇の筆者は3節以降で、神様の多くの祝福を思い起こさせます。)賛美は(さまざまな良いことをされた)神様への畏敬の念の応答です。ですから神様を忘れ、神様のされた良いことを忘れるとするならば、賛美とは逆のことを行い、神様がどのようなお方であられるかということについて無視することになります。

II. 祝福の賛美を伴う感謝の理由(3~5節)
罪のゆるし:神様は罪そのもの、そして罪の結果の罰を取り除く驚くべき、恵みのみわざを行ってくださいました。(詩篇32:1)
病のいやし:年を重ねるにつれ、皆何らかの肉体的弱さや不調を経験します。あるものについては癒されますが、生涯においてそれらがすべて取り去られるということをこの箇所は述べていません。それは神様のもとへと移される時に経験することです。(しかしその約束を先取りして感謝できます。)病は精神的・霊的なことにも及びます。私たちは、さまざまな災難や障害、そして躓きを経験します。しかし同時にそれらに対する回復のみわざをなしてくださる神様を認め感謝をささげることができます。(詩篇147:3; エレミヤ30:17)
死からの解放:イスラエルの人々はかつてのエジプトでの経験、そしてそこからの解放を「穴」からのあがないと重ね合わせます。私たちは、霊的には罪ゆえに死んでほろぼされるはずであったところを、買い取っていただき、救っていただきました。
豊かな恵みと憐れみ:罪のある私たちは本来、辱めを受け、罰を受けるべきでした。しかし、その私たちが、神様の深い恵みと憐れみのゆえに、“王のように”取り扱われる者となったのです。
いのちを保つ食物:神様は私たちに食物をはじめ、さまざまな良いものを満たして歩ませてくださいます。そして肉体的には年老いても、鷲のような(霊的)ちから強さを与え続けてくださいます。(イザヤ40:31)神様は満たしてくださるお方であり、新しくしてくださるお方です。(詩篇23:6)

まとめ: 神様に対する心からの感謝は、クリスチャンに与えられた務めである
今年あなたが神様から与えられた(良い)もの、経験の中で、神様からのものでないものが何かあるでしょうか。神様から与えられた一つ一つのものを確認してみましょう。あなたが持っている(良い)ものを世界中の人が持っているわけではありません。あなたが経験した(良い)ことを世界中の人が経験できたのではありません。なぜあなたはそれを持っているのでしょう。なぜ経験できたのでしょう。霊的にはどうでしょうか。神様の前に罪がゆるされていること、永遠の住まいが天に準備されていること、それはなぜでしょうか。その事実は神様に感謝をささげる十分な理由とはならないでしょうか。自分の気分(感覚)を土台とするならば、神様に対する感謝は貧しいものになるかもしれません。しかし、一つ一つのことが、そしてものが、神様からのものであることの確認作業を(領収証を出すかのごとく)するならば、そしてそれを記憶するならば、神様に対する感謝は豊かなものとなるでしょう。2020年を振り返り、祝福の賛美を伴う感謝を神様におささげすることに努め、新たな年を迎えさせていただきましょう。

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