2月25日 自由から束縛へ?

拉致され、監禁された人が無事に解放されたとしたら、その人が再び拉致・監禁されることを望むでしょうか。そのようなことはありえないことです。しかし霊的な意味においてはそのようなことが起こりうるのです。神様から与えられる救いは、神の恵みによるものであり贈り物ですが、救いを与えられた人には責任が生じます。神様の御性質を学びつつ、その御性質を生活の中で反映させていくことを神様は望まれます。それは確かにレベルの高い要求です。しかし、この責任の中には(旧約の時代に律法の下でイスラエルの人々に与えられた)儀式や祭を行うことは含まれていません。これらを救いの条件にしたり、神様に受け入れられるための方法とする時に、キリスト様にあって自由なはずの自分を縛ってしまうことになるのです。実際にそのようなことが起こっていたガラテヤ人に対してパウロが書いた事柄を学んでみましょう。(ガラテヤ4:8~11)

I. 過去のあなた(8節):あなたは神を知らず 無知の奴隷でした →パウロは再び(クリスチャンの)以前の奴隷の状態について語ります。それは「神を知らなかった」時であると。まことの神様を知ることは、真実を知ることです。そしてそれは人が生きていく上で最も重要なことを知るということです。逆にまことの神様を知らないことは、人として大きな欠陥です。神様を知らず真実を知らなければ、偽りの神々に仕えることになり、それらの奴隷となることになります。偶像に対する信仰(礼拝)は正しくなく、価値がないばかりでなく、まことの神様に対して罪深い行為です。実際のところ、偶像は存在しない神々であり、それらを背後で操っているのは悪魔です。ですからまことの神様を知らなかった時は、悪魔の支配の下で束縛され生活していたということになります。(エペソ4:17-19; IIコリント4:3-6)

II. 現在のあなた(9節前半):あなたは神を知り 今真実の奴隷です →イエス様を信じた人は、神様を知る人とされました。それは情報として神を認知しているということではなく、個人的な関係を持っていることを意味しています。そしてそれ以前に、神様に知られている立場であるということです。神様との交わりの関係の中で子として愛され、覚えられ、顧みられているということです。人は単独で神様の前に悔い改めたり、神様を信じることはできません。救いは神様主導(初動)によるのです。先ず神様があなたを知っておられるので、あなたは神様を知ることができるのです。同様に先ず神様があなたを選んでくださったので、あなたは神様を選ぶことができたのです。そして先ず神様があなたを愛してくださったので、あなたは神様を愛することができるのです。救いは神様の恵みの贈り物として与えられました。その結果、まことの神様にお仕えする者とされました。ですから誰も誇ることができないのです。(IIコリント5:17; Iテサロニケ1:9)

III. 過去に戻ろうとするあなた (9節後半~11節):それなのに再び無知の奴隷となるのですか? →パウロはガラテヤのクリスチャンが、まことの神様を知ったはずなのに、また以前の状態に戻っていっている、戻ろうとしていることに驚いています。それは、彼らが以前に経験した古い間違いを再び犯す(犯そうとしている)からであり、また実在する神様と個人的な関係に入っていながらこの方のもとを離れて、実在しない神々へと移って行っている(行こうとしている)からです。以前によりどころとしていたものが、救いという点においては全く無力であるのにです。神様からの自由を与えられたのにかつての束縛に戻ろうとしているのです。旧約の時代においてイスラエルの人々は神様から律法を授かり、それに関わる周期的なカレンダー(行事)を行ってきました。しかしそれらは現在の教会に与えられておらず、それらを守ることは求められてはいません。パウロはそれらの儀式や行事を反対しているのではありません。(彼らのために労した)パウロは律法に基づくそれらの行為が、あたかも神様が要求しておられるかのごとく、或いは救いを得るためという誤った理由で行われるとするならば、(異教徒がそのよりどころとするものに対して奴隷とされているように)悪魔がそれを用いて奴隷にする可能性を懸念しているのです。あなたが、宗教的行為自体をよりどころとするならば、イエス様があなたのためになされたお働きが充分ではなかったと宣言することになります。あなたが真の信仰者であっても、神様の愛は、自身の労苦によって得られる、増すことができると思わされる可能性があるということです。信仰を持つこと、そして信仰の歩みにおいては神様に完全に依存していることを覚えなければ、再びかつての奴隷を選びイエス様にある自由を手放すことになってしまいます。

まとめ:イエス様にあって与えられた自由は、イエス様を見上げてそれを選ぶことによってのみ継続される →あなたは常に覚えていなければなりません。思い出さなければなりません。どのようにして救われたかを。神様の恵みによって救われたことを。そこにあなたの側の功績は何一つないことを。そのようにして救われたあなたの信仰生活もまた神様の恵みによって導かれることを。それを認識しつつ、救い主イエス様に対する感謝の表現として信仰生活を継続する姿勢を確認すべきことを。神様(聖霊)によって始められたあなたの歩みは、神様(聖霊)によって完成へと導かれるのです。その認識を失わない限り、イエス様にある自由-神様の御考えを行い、神様に栄光を帰する歩み-はあなたのものであり続けます。

 

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