子供が1人から2人になることは大きな変化です。兄弟(姉妹)が誕生することを境にして、最初に生まれた子供には、待つこと、譲ること、ガマンすること、そしてシェアすること(分かち合うこと・共有すること)が求められるからです。親としてこれらのことを身につけさせることは重要であると同時に、難しいことでもあります。教会にもクリスチャンの兄弟姉妹が存在します。教会が健全に成長していくためにも、クリスチャン同士の関係が配慮に満ちたものである必要があります。今回は初代教会の記事から“共有すること”がどのようなものであるかを考えてみましょう。
①共有の心 (32節) →イエス様を信じた人達には変化が起こりました。皆が持ち物を共有したのです。 (a)同じ主を信ずることによって、また (b)主の導きに自主的に応答することによって、そして (c)主を認めることによって共有する(シェアする)心が与えられました。イエス様を信ずることにより、人の価値観が変えられます。イエス様によって罪のゆるしと永遠のいのちを与えられた人は“すべて”を与えられた人です。物質的なことへの執着は薄くなっていきます。同時にすべてを与えてくださったのはイエス様(神様)であるという認識から、与えられたものをどのように神様のために(そして特に周囲のクリスチャンのために)使っていくべきなのかを考えるようになります。共有することは決まりや強制によってではなく、神様の前における自主的な行動です。各クリスチャンが救い主イエス様の存在を認めることによって、心を一つにし、共有する方向へと導かれていくのです。
②共有の効果 (33節) →クリスチャンが持ち物を共有したことは、使徒達の奉仕に良い影響をもたらしました。共有することが (a)使徒達の語る主イエス様の復活のメッセージにより大きなちからを与え、また (b)神様から恵みがさらに注がれ、教会外の人からも好意を受けるようになったのです。一般の人々は聖書の教えをすぐに理解することは難しいかもしれません。しかしクリスチャン同士がどのように支えあっているかを見る時に、みことばの素晴らしさ、クリスチャンが信じるイエス様の素晴らしさを理解し始めるのではないでしょうか。
③共有の実践 (34-35節) →共有することによって当時のクリスチャンが皆豊かになったというわけではありません。しかし、乏しい人は1人もいなくなりました。 (a)持っていない人の必要が満たされたのです。そして (b)持っている人が他の人の必要を認識して行動したのです。クリスチャンは物質的なことも、神様との関係で考えます。神様との関係を正しく保つために、(個人がそしてクリスチャンの集団が)豊かになり過ぎないように、そして貧しくなりすぎないようにと神様にお願いするのです。(箴言30:8-9)
④共有の実例 (36-37節) →初代教会における共有の実例を筆者のルカは記述しています。「慰めの子」という意味の名前を持つバルナバが、持っていた畑を売り、そのお金を使徒達のところにもってきました。彼は (a)自身の心の内におられる聖霊なる神様のお働きを反映させたのです。そして (b)忠実な生き方と働きに伴う共有を実践したのです。彼の心は自身が信ずるイエス様に向けられ、同じイエス様を信ずるクリスチャンの仲間に向けられていました。彼は聖霊なる神様に導かれるまま、自身の持ち物を分かち合ったのです。
まとめ:イエス様にある真心の共有を神様は祝福される →あなたの手にあるものはすべて神様から与えられたものです。神様から与えられたものを神様のために使う時に神様は祝福してくださいます。しかし持っているものを他のクリスチャンと分かち合うか、そしてどのように分かち合うかは、あなたが自主的に神様の前で決めることです。あなたは神様から与えられたお金やモノをどのように共有しますか。与えられた技術・才能・体力(若さ)をどのように共有しますか。与えられた時間をどのように共有しますか。共有することができる何かを持っているならば、それは神様からの恵みです。そして他のクリスチャンとのシェアによって欠けたものが補われるならば、それも神様からの恵みです。分かち合うことによってイエス様の愛を示すことを、神様は喜んでくださいます。