2月3日 イエス様の愛

父なる神様と御子イエス・キリスト様は一つであられますが、聖書中の「愛の表現」は一定の相違を見ることができます。父なる神様の愛はより間接的であり、御子イエス様の愛はより具体的と言えます。神様の罪人に対する愛は、イエス様の死という具体的なかたちであらわされました。(ローマ5:8) (ご聖霊の神様による働きによって認識される神様の愛は、残念ながら必ずしもすべての人々によって確認されたわけではありませんけれども)また神様の罪人に対する愛は、イエス様がなだめの供え物としてこの世界に遣わされるという具体的なかたちであらわされました。(Iヨハネ4:9-10)

 御子イエス・キリスト様の愛の対象を考えてみましょう。まずイエス様の愛は父なる神様に向けられています。(ヨハネ14:31) イエス様はその愛を父なる神様の御心に従うことによってあらわされました。イエス様の愛はご自分を信ずるクリスチャンにも向けられています。(同15:9) イエス様と身近で過ごした弟子たちがそうであったように、現代を生きるクリスチャンにもイエス様の愛が注がれています。この愛にとどまる(住む)ことによって、クリスチャンは神様の愛の供給を継続的に受けることができるのです。イエス様はご自分を信ずる者たちの集合である教会も愛しておられます。(エペソ5:25) イエス様は教会の働きに関心をもっておられ、神の愛を加えておられるのです。クリスチャンの中でもイエス様に従いイエス様を愛する人への愛はより身近で濃いものであるということができます。(ヨハネ14:21) パウロは自身に対するイエス様の愛を個人的なものとして表現しています。(ガラテヤ2:20)

 次に御子イエス・キリスト様の愛の表現方法を考えてみましょう。イエス様の愛は「いのちを捨てる」(ヨハネ15:13)ほどのものです。それは「残るところなく(最後まで)示された」(同13:1)ものでした。この愛の表現により罪人に対するゆるしといのちの提供が可能となりました。(Iヨハネ3:16) イエス様はどれいの立場をお取りになり、へりくだって仕える存在となられることを通しても愛を示されました。(ヨハネ13:4-5,14) 黙示録にはイエス様がご自分の血を流すことによって罪人を解放したことが記されています。(1:5) 罪が存在するところに災いが発生しますが、イエス様の犠牲によってそこから救われ(罪に問われず)、神様との関係が正常化し、交流が可能となりました。救いをいただいたクリスチャンは今なお成長段階にあり、時には神様からのお叱りを受け、「懲らしめ」をいただきます。このことも神様の愛の表現であると同じ黙示録に記されています。(3:19) それは神様がクリスチャンに深く関わっていてくださり、放任されていないことの証拠です。

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