人々は今年も初詣に出かけたり、様々な宗教行事を行って「願掛け」をしています。その殆どは自分の幸せや利益のため、そして災いが来ないように願うものではないでしょうか。クリスチャンはこの世界をお造りになった神様に祈りをささげます。しかし、クリスチャンの祈りもしばしば自分中心の願いに集中してしまっているかもしれません。今回は捕えられ、尋問され、釈放されたペテロとヨハネを出迎えたクリスチャン達の祈りから、神様がどのような祈りをお喜びになるかを学びます。(使徒の働き4:23-31)
①神様に喜ばれる祈りの姿勢 (23-24節前半) →ペテロとヨハネは自分たちが経験したことを仲間に報告しました。それに対して人々は ①心を一つにして祈りました。礼拝や集いにおいて代表者が祈る場合にはその人の祈りのことばに集中する必要があります。そこで表現される神様について、また神様の恵みに思いを向けることに努めるのです。代表者の祈りを通してあなたも神様に祈りをささげているという意識をもって臨むのです。また人々はペテロ達が経験した迫害に目を向けて恐れたり失望したりするのではなく ②神様に向って祈りました。クリスチャンの祈りは単なる「唱えごと」ではなく、また人に聞かせることを一番の目的としているものでもなく、自分に言い聞かせるものでもありません。本当に生きておられ、祈りに耳を傾けてくださるお方の存在を認識し、そのお方を意識して祈るのです。そして人々は ③確信をもって祈りました。自分達が信じ、信頼しているお方に確信をもって声をあげたのです。
②神様に喜ばれる祈りの内容 (24節後半-30節) →ペテロ達の報告を受けた人々の祈りの内容は、彼らが正しい認識をもって祈っていたことをあらわしています。まず彼らは ①神様(のお立場)についての正しい認識をもって祈りました。神様がこの世界をお造りになったことにおいて、また罪人のためになされた救いのみわざにおいて、絶対的な権限をもっておられるお方であることを認め、賛美しました。同時に彼らは ②自分達自身の立場についての正しい認識をもって祈りました。彼らの願いは迫害がなくなることではなく、迫害者が痛い目にあうことでもありませんでした。彼らの願いはみことば(神様からのメッセージ)が広まっていくことでした。彼らは、今目の前にある迫害の問題を神様がご覧になられること、そしてこの迫害の中で必要な勇気が与えられることを祈り求めたのです。そして ③イエス様のお名前があがめられるようにとの目的をもって祈りました。彼らのもう一つの願いはみことばが語られることに伴う奇跡等によってイエス様がほめたたえられることでした。
③神様に喜ばれる祈りの結果 (31節) →ペテロ達を出迎えた人々の祈りは ①明確に聞かれました。人々が集まっていた場所が震い動くという、肌で感じることができるかたちで、神様が祈りに同意されたサインを確認したのです。そして祈りの答えは ②聖霊なる神様の満たしを伴って聞かれました。彼らの祈りは、神様の超自然のちからをいただき、神様のことばを大胆に語ることができるというかたちで ③現実的に聞かれました。
まとめ: 正しい心と認識の伴う祈りを神様は喜んで聞いてくださる →今までの自分の祈り、そして集会等における代表の祈りの時の姿勢(心)がどのようなものであったかを振り返ってみましょう。祈りは神様におささげするものであり、神様に思いを集中させ、信じて行なうものであることを覚えましょう。あなたがさらにみことばを学んで、神様が信頼する(信ずる)に値するお方であることを知るなら、あなたの祈りは中身のある豊かな、そして神様に喜んでいただけるものとなるでしょう。