今回はIコリント1:18から「十字架のことば」について考えました。
①イエス様の十字架にはメッセージがある。 →イエス様のかかってくださった十字架のことを思い浮かべる時、何をそこに見るでしょうか。それは一人の人の死刑の現場でしょうか。それともそれはあなたの救いと関係のある方の苦しみの現場でしょうか。あなたが、イエス様の十字架の本当のメッセージを受け取ることができるなら幸いです。そこにはイエス様の(あなたのために)経験された苦しみのメッセージがあります。またその苦しみに耐え抜かれたメッセージがあります。そこにはあなたを含めた罪人に対する神様のあわれみ、なさけ、愛のメッセージがあります。そしてあなたの救いが現実のものとなったことのメッセージがあります。
②イエス様の十字架のメッセージは信じない者にとって愚かである。 →同じ「十字架のことば」が語られても、皆が同じ応答をするわけではありません。このメッセージを信じない人にとっては無意味なものとなります。メッセージがどんなに素晴らしいものであっても、受け取らない人にはその効力は及びません。十字架のメッセージの価値を認めることができなければ「愚か」なものとなるのです。あなたは十字架のメッセージを信じ受け入れましたか。「滅びに至る」道から救われましたか。
③イエス様の十字架のメッセージは信じる者にとって神のちからである。 →「十字架のことば」を受け取る人には神様からの大きな祝福が加えられます。「神の力」がその人の上にあらわされるからです。イエス様を信じた人の考え方・生き方は新しくされます。みことばという新しい、正しい基準によって生活するちからが与えられるからです。イエス様の身代わりの死によって、人間の最大の問題である罪の問題が解決されたクリスチャンは、永遠のいのちの約束をいただき、神様との交流を楽しむことができます。かつては自分勝手に生活していた人が、霊的に生きる、つまり神様が喜んでくださることのために生きることができるように変えられるのです。十字架のメッセージを受け入れる人にはこのようにさまざまなちからが注がれます。あなたはこの力を体験していますか。
結論:イエス様の十字架のメッセージを覚え、神様のちからを体験させていただきましょう。 →イエス様の十字架を想像し、黙想してみましょう。そこに何が見えますか。そこにはどんなメッセージがありますか。あなたには何が語りかけられているでしょうか。一人ひとりが、罪人に対する真の唯一の救いを見出すことができるよう、神様が助けてくださいますように。またイエス様の十字架の死(そして復活)を信じ受け入れたクリスチャンは、さらにみことばに従うことによって、「神の力」を体験し続けることができますように。