☆今日の出来事・お知らせ☆
●3月に入り、少し暖かくなってきました。天候も守られ、今日も共に主に礼拝をお捧げする事ができて感謝でした。
●Tさんは再び入院され、M姉は体調不良の為、お休みとなりました。神様がそれぞれに癒しの御手を置いてくださり、最善へと導いてくださいますように。
●現在、M姉のお世話をしておられる三名の看護師さんのうち、一人の方はL姉の同級生で、もう一人の方は以前に教会に足を運ばれた事がある方でした。今回のこの関わりを神様が用いてくださり、M姉のお世話をしておられる方々の上にも神様の恵み、救いが及びますように。
●3月最初の日曜日。イエス様の死を覚え、記念とする聖餐の式に与る事ができて感謝でした。イエス様は全ての人の罪をお一人で背負われ、私たちの身代わりとなって十字架上で罰を受けてくださいました。イエス様によって救いを頂いた事を心から感謝し、今週も感謝と喜びの心を持って主の為に歩む事ができますように。
●今週土曜日にはサタデーバイブルキッズ(小学生低学年以下対象)を10時から開催予定です。
☆Y姉の証し☆
「私たちの神は天におられ、その望むところをことごとく行われる。・・・彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない、のどがあっても声をたてることもできない。これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」詩篇115:3~7
昨日、日本において真の神様を知らない多くの人々は、女の子の健やかな成長を願って「ひな祭り」を行ったことでしょう。クリスチャン家庭で育った私は、幼い時から「ひな祭り」は行わず、また自分の娘達も行いませんから、ひな祭りについてあまり深く考えたりしてきませんでした。しかし、冬休みに娘が小学校から宿題としてもらった国語の文章題のプリントの中に、「ひな祭り」について書かれたものがありました。娘は「ママ、これやらなくていいよね?」と心配そうに聞いてきましたが、私はその文章に一度目を通して、するべきかどうか吟味することにしました。その文章の中には、これまで私が知らなかった「ひな祭り」について書かれてあり、娘が真の神様と偶像の違いを学ぶ為に必要なものだと判断しましたので、そのプリントをやらせることにしました。
そのプリントには、次のような事が書いてありました。
“昔の「ひな祭り」は人々が怪我をしたり、病気になったりしないようにと、神に祈る祭りで、人々は、わらや木などで人形を作り、怪我や病気など悪い事を人形に全部移し、遠くに流すために、人形を体にこすり付け、人形を飾り、お祈りしてからそれを川や海に流した・・・”と。その後、もう少し詳しくネットで調べてみると、ひな人形は「身代わり信仰」として、人形が人間の身代わりに厄を引き受けてくれると考えられていたという表現も見つけました。真の神様を知らず、自分の罪の問題も知らず、その解決の為に、主イエス様が十字架で身代わりに死んで下さった事を知らない多くの人々は、人形を身代わりにして祈るという偶像礼拝を行ってきたのです。本当に真の神様を知らないという事は、何と悲しく空しい事かと改めて感じました。
ひな人形について書かれたプリントをした娘には、プリントの中に主を知る親として教えたいこと、考えてもらいたいことを盛り込んだ問題を私なりに付け加え答えてもらいました。
*人々が祈ったという神様は、本当に人々の祈りを聞くことができたか?
*私たちの病気や辛く悲しい事は、人形に移すことができるか?
*では、だれが私たちを護り、助けて下さるのか?・・・
というような質問を加え、彼女に対して、このようなメッセージを加えました。
「真の神様を知らない人々は、自分達が病気になったり、悪い事が起こるのを恐れて、色々な事をしたり、偶像にお願いしたりしてきました、でも、私たちは真の神様にいつもお祈りできるし、例え病気になったり、辛く悲しいことが起こったとしても神様が全てのことを知っておられ、頼ることができるので怖がる必要がないのですね。ひな祭りは、女の子が元気に大きくなることを願ってお祝いするだけでなく、偶像に願うお祭りなので私たちはお祝いしないのですね。その事をあなたも良く分かる事ができたので、このお勉強は必要なことでしたね。ママも一緒にお勉強できて良かったです。」
彼女はそのメッセージに対して「アーメン」とコメントしてくれました。
日本には他にも、毎月のように多くの偶像礼拝の行事があります。私たちはクリスチャンであり、神様を悲しませる事ですから、それらの行事を行わないのですが、偶像礼拝だから私には関係ない!と言ってしまうのではなく、むしろそれらの行事がどのような意味を持ち、人々はどのような思いで偶像礼拝をしているのかを立ち止まって考える必要があると気付かされました。これらについて知る事は無意味ではなく、実は真の神様がどのように素晴らしいお方かを、私たち自身がまず改めて教えられることであり、またノンクリスチャンの方々への証しや伝道の時にも、必要な知識となるのではないだろうか?と今回考え教えられる事となり感謝でした。
☆本日のランチ☆