人がイエス・キリスト様を信じて救われる時には、それまでにはない新しい経験をすることになります。それは人の内面で起きます。その現象を“目が開かれる”とか“心が開かれる”と表現します。それは神様のお働きであり、みわざです。今回の箇所ではこの現象を見ることができます。(使徒の働き16:11~15)
パウロたちの宣教チームは、マケドニヤへ行くことが神様の導きであると確信し、トロアスを出発し、サモトラケの島を経由してネアポリスへ、そしてピリピに到着しました。ローマ帝国の植民都市ピリピにはユダヤ人の会堂(シナゴグ)がなかったようです。パウロたちは安息日に川岸で女性たちと遭遇しました。彼女たちは集まって祈り、聖書(律法)を読み、読んだことについて語り合っていたのでしょう。彼女たちにはみことばが語られました。
I. 聞いたことを心に留める(14節) →女性たちの中にルデヤという女性実業家がいました。彼女は(小アジヤの)テアテラの紫布の商人で神様を敬う人でした。彼女はイスラエルの神を信じていましたが、イエス様による救いを体験していませんでした。パウロのメッセージを聞いていた彼女の心を神様は開いてくださいました。ここに人の救いにおける神の主権を見ることができます。神様はルデヤにみことばへの理解を与え、さらに学ぶことへの願い、そしてみことばを正しく評価する姿勢を与えられました。彼女がみことばに注意を払い、みことばをしっかりとつかみ、みことばに熱中するように心を整えられた神様のみわざです。
神様は罪人の真っ暗な心に光をあて、自分について、そして神様について知るべきこと(真実)を知らせてくださいます。(使徒26:18; IIコリント4:6; エペソ1:18-19; Iペテロ2:9; 詩篇18:28; 119:130; 箴言29:13参照)
II. 聞いたことを心で信ずる(15節前半) →心が開かれることは、みことばを聞くことから始まります。(ローマ10:17) ルデヤとその家族がバプテスマを受けたことは、彼女たちがみことばを聞き、イエス様を救い主として信じた証拠です。彼女たちはみことばを受けいれ(マタイ13:23; ルカ8:15; 10:38-39; 使徒2:41; 17:11; Iテサロニケ2:13)、イエス様を受け入れた(マタイ10:40; マルコ9:37; ヨハネ1:12)のです。
III. 心で信じたことを行動であらわす(15節後半) →イエス様を信じバプテスマを受けたルデヤは、自分を主にある一人として受け入れてくださるのであれば、奉仕の機会を与えて欲しい旨を伝えました。パウロたちのために自宅を開放したのです。ルデヤの家は、まもなくピリピにおける伝道と礼拝の中心的な場所となったことでしょう。(40節) 心が開かれ、救いを体験したルデヤは、神様のために(そして神様に仕える者たちのために)働くことを開始しました。
まとめ:わたしの心を開かれた神様は、どのような人の心も開くことができる →人の心が開かれる時には、人の内面が暴露され、みことばの真実(神様の視点)が注入されます。人は自分自身と正直に向き合うことができ、神様の前における自分の姿を認めることができるようになります。絶望的な自分の、唯一の救い主はイエス様であることを知り、信じ、新たな歩みを開始することができます。これは神様の奇跡のわざです。この奇跡が自分の上に行われたことを感謝し、神様を賛美し、継続的に心を開いて柔軟に従順に、みことばをいただく者、学ぶ者、実践する者でありたいです。そして同じことが周囲の人たちの上にも行われることを祈り求める者でありたいです。