人は神様の前において皆 罪人です。そして誰一人その罪の支払いをすることができる人はいません。それは莫大な代価であるからです。(詩篇49:7-9) 神様に対する罪において、人が人をあがなう(買い戻す)ことは不可能なのです。しかし、神様はそれを実現してくださいました。
イエス・キリスト様の死からの復活は神様がこのあがないのわざをなされたことの証明です。イエス様が実際によみがえられたことにより、あがないが確かなものであることが明らかとなりました。週の初めの日にイエス様を救い主と信ずる者たちが集まって礼拝をすることはイエス様の復活に基づいています。私たちに神様のことばである旧新約聖書が与えられていることもイエス様の復活の結果です。
第一コリント15章では福音について説明がなされ、イエス様の復活がそこには含まれていることが述べられています。イエス様の復活は(旧約)聖書が予告していたことであり(4節)、パウロを含めた多くの目撃者が存在するのです。(5-11節) これらの目撃者の存在により、私たちはイエス様を信ずることができたのです。死とその後のさばきが定まっていた私たち、恐ろしいところへ落ち込むはずであった私たちは、救われたのです。私たちはどれ程この現実に感激し、感謝していることでしょう。
イエス様の復活は私たちの救いを完成する上で、欠くことのできないことです。(12-19節)イエス様は死なれただけではありません。復活されたのです。イエス様は復活するために死なれたのです。そしてイエス様の復活は私たちの復活への道を開きました。(20節) 死人の復活(すべての人が生き返ること)は神様が定めた法則なのです。イエス様を自分の救い主として信じた私たちはやがてよみがえらせられる時、栄光のからだを持つ、再び死ぬことのない完全な存在として神様と永遠を共有する祝福を約束されているのです。