ルカ24:25-26で復活されたイエス・キリスト様はご自分の復活について知らない、そして信じない人たちについて「愚かな人たち…心の鈍い人たち」とおっしゃいました。これがイエス様の身近で寝食を共にした弟子たちへの正しい評価でした。約2000年の間、語られ続け、多くの人々に尚受け入れられていないイエス様の復活の真実について今回は考えます。
イエス様の復活は死が前提となります。死が確認されて初めて復活について語ることが出来ます。ヨハネ19:30-34ではローマの兵士によってイエス様の死は確認されています。すでに息を引き取っていると認めた兵士たちはイエス様の(死を早めるために)すねを折ることはしませんでした。しかし、兵士の一人は槍をイエス様のわき腹に突き刺しました。イエス様の心臓は破裂し、血と水が流れ出ました。それを使徒ヨハネは目撃しています。これらのことはイエス様が単に気絶されたのではなく、完全に死なれたことを物語っています。
マルコ15:42-47に記されているアリマタヤのヨセフがイエス様のからだを引き取る場面においては、総督ピラトや百人隊長がイエス様の死を確認しています。一方 祭司長やパリサイ人たちはイエス様が生前 自分の復活について語っておられたことを覚えており、弟子たちがイエス様のからだを盗むようなことになるとさらに厄介なことになることを懸念して、墓の周囲の警護をピラトに願い出ました。(マタイ27:62-66) イエス様の復活の朝 その警護は空しく打ち破られ、祭司長たちは対応を協議し、兵士たちを買収してイエス様のからだが盗まれたという噂で事態収拾に努めました。(同28:4,11-15) しかし、イエス様のからだに巻かれた布がそのまま放置されていることは、イエス様のからだの“盗難説”を否定します。(ヨハネ20:1-8)
復活のイエス様の目撃者は多く存在します。女性たちや弟子たち、そしてペテロのように個人的に会見した人がいます。実にイエス様の確かな復活によって、私たちは今イエス様を信ずる者として生かされているのです。イエス様の死・葬り・復活を通して死からいのちへと移された私たちクリスチャンは世の中でどのように評価されているのであれ、神様の目には幸いな者であるのです。(Iコリント15:1-8)