5月31日 人の不信

次の日の天気予報が快晴であるならば、傘をもってでかけることはしないでしょう。人は信じた通りに行動するものです。クリスチャンとして、きよい生活をするとか、罪を犯さないように歩むことは大切なことですが、それ以上に大切なことは信ずるということではないでしょうか。イエス様を信ずるのであれば、それは行動にあらわれます。逆に言えば、クリスチャンの行動を見れば、何をどのようにどの程度信じているかがわかるということです。どのように生きるかは、その人のイエス様に対する信仰の質によって決まるということです。今回は人の不信仰について学びつつ、信仰のあり方を考えてみたいと思います。(ヨハネの福音書12章36節後半~43節)

I. 人が信じないのは、預言の成就である(38節)

イエス様は、ご自分が神の子であられることの証拠として多くのしるし(奇蹟)を行われましたが、人々はイエス様を信じませんでした。これは預言されたことです。預言者イザヤは二つの問いかけをしています。(イザヤ53:1)“誰がイエス様の教えを信じただろうか”、“イエス様のしるしは誰に対して意味のあるものとなっただろうか”と。この預言のことばは、人々がイエス様に対して継続的に不信仰であることを説明しています。
伝道の働きの中で、私たちも問いかけたくなるのではないでしょうか。回を重ねる集会、配布されるパンフレット、繰り返し語られる福音メッセージを誰が読み、だれが聞き信じるのだろうかと。イエス様による救いのみわざ、十字架のあがないのみわざは、どれだけ人々に対して意味のあるものとして届いたのかと。

II. 人が信じないのは、人の頑固さゆえである(39~41節)

イザヤの預言が続きます。(イザヤ6:10)人々の不信仰は神様が彼らを取り扱われることによってです。しかしそれは、人々が神様からの光を拒絶したことによります。人々の応答は(神様の定められた法則にしたがって)、自ら徐々に信じることを不可能にしたのです。神様は人々と距離を置くことを決して望まれませんが、神様からのメッセージを彼らが受け入れないため、また悔い改めないため、神様のもとへ戻ってくる道が閉ざされていくのです。信じないことの積み重ねは、人を頑なに仕立て上げ、それは時間とともに貫き通せないものとなっていきます。(ローマ1:28; IIテサロニケ2:10-11)
人がイエス様を信じないのは、神様の責任でしょうか。神様の愛が不足しているのでしょうか。いいえ。人が自ら救いの道、祝福の道を閉ざしているにほかなりません。救いをいただいたクリスチャンは、このような人々の不信仰の現実はあっても、“この人は救いに与らない”と決めつけてはなりません。神様の憐れみによって、人々が見るべきものを見、悟るべきことを悟ることができ、生き方の方向性を変えて、イエス様による究極の癒しをいただくよう働きかけていくべきなのです。

III. 人が信じないのは、人の評価を重視するためである(42~43節)

使徒ヨハネは不信仰の人々の中にも信じる指導者たちが多くいたことを記録しています。この中にはアリマタヤのヨセフやニコデモが含まれていたのかもしれません。しかしヨハネは、彼らが会堂から追放(除名)されることを恐れて告白はしなかったことを追記しています。
イエス様を自分の救い主として信じるのであれば、救われるのですから、それは素晴らしいことですが、公の告白がない信仰者の歩みは不信仰な歩みであると言わなければなりません。それは、イエス様を信じながら、また“信じる”と言いながら、まだほかに大事にしているものが存在するということです。ヨハネが記している“信じる”指導者たちにとって、自分たちの立場や会堂に属していることによる経済的安定はより大事なものでした。彼らは、神様からのものよりも、人からのものを愛していたのです。
現代を生きるクリスチャンにも、イエス様を“信じたけれども…”、“信じたはずだけれども…”ということが存在するかもしれません。信仰者でも一時的に、部分的に不信仰に陥るものです。神様からのもの(栄光)がどんなに素晴らしいものであるかを知り、神様からの評価を重視する(信ずる)者であるべきです。

まとめ: イエス様に対する素直な信仰は、神様からの誉れを得る

今は信じることが難しい時代であると言えます。同時に、何を信じていてもいいではないかと「多様性」が市民権を得ている時代でもあります。しかし、なおイエス様は唯一の道であり続けます。幸いにも私たちの多くは、イエス様に対する信仰を持つ恵みに与りました。神様が一人一人に奇蹟のみわざを実行してくださり、普通ではできない、「信ずること」を可能にしていただいたのです。イエス様が唯一の救いの道であることを信ずるようにと導いていただいたのです。イエス様を信ずることを毎日継続しましょう。日々の選択・決断において、イエス様に対する信仰を反映させましょう。自分や世の中の価値観ではなく、イエス様を信ずることを土台として行動する者となりましょう。

 

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