私たちの神様はご自分をあらわされるお方であり、ご自分がお造りになったものによってどのようなお方であるかをいくらか説明しておられます。(詩篇19:1) 旧約の時代において神様がご自分をあらわされる方法はより間接的でした。神様の民と呼ばれる人々にとってさえ、神様を直接見ることはゆるされることではなく、また見ることは死を意味するという認識であったのです。
「神様」は文字通り、ご自分を示されるお方であり、申されるお方です。神の御子イエス・キリスト様の受肉・十字架の死に続く復活は、新約においてより具体的に「神様をあらわす」こととなりました。今回は復活により、イエス様が罪のないお方であることがあらわされたことに焦点をあてます。(使徒2:24)
イエス様の十字架は神様の計画である一方で、人の罪の暴露という側面があります。この罪は全人類に共通することであり、その罪は生活の中で「神様を拒絶する」というものです。その延長線上にイエス様を罪人として十字架にかけるということが起こりました。
イエス様はご自分には罪がないことを宣言されました。(ヨハネ8:46) 罪の性質を持っておられないお方が罪のある者たちに代って死なれ、復活されたのです。このお方を救い主と信じたクリスチャンは復活されたイエス様のいのち、そして超自然的性質をいただいているのです。
イエス様の復活はイエス様が本当の勝利者であることを証明しました。(Iコリント15:54) 生まれつき死を恐れる人類に希望の光が差し込みました。死の力を持ち、死の恐怖によって人を奴隷にしていた悪魔に対して、イエス様は復活により勝利され、解放を実現してくださいました!(へブル2:14-15) クリスチャンはイエス様が勝利者であることを覚えましょう。(肉的な敗北者とならないように)
罪人の罪をゆるすための死に続くイエス様の復活は、イエス様を救い主として信じる者を神様の前に正しい者と認定するためのものでした。(ローマ4:25) 神様は今も、イエス様を主と告白し、(イエス様の復活を含めて)信ずる人を救ってくださいます。(同10:9-10) イエス様がすべてのものの頂点であることを告白し、イエス様こそが、神様が罪人の救い主としてお認めになったお方であることを受け入れることが救われる条件です。すでにこの救いを賜ったクリスチャンはいかにして神様に感謝をおささげすることができるでしょうか。