6月28日 生くるにも死ぬるにも

写真 2015-06-28 11 45 59私たちが今日生きているのは、当然の権利ではなく、神様の恵みです。すべての環境と条件を整えてくださっている神様の恵みです。そしてそこには神様の私たちに対するご計画と意図があります。神様との永遠の関係に入ったクリスチャンにとって重要なこと、そして祝福は、この地上での生死以上に神様の御手の中にあるということです。今回は“死んでいったクリスチャン”と“死を免れたクリスチャン”の記事から、いずれの場合においても神様のご支配と護りがあることを確認しましょう。(使徒の働き12:1~19)

I. 主の御手の中にあるヤコブの殉教 (1~2節) →イエス様の福音がエルサレム、ユダヤ、サマリヤへと広がっていく中で、反対の動きも常に並行して発生してきました。この章ではヘロデ大王の孫にあたるヘロデ・アグリッパ1世がクリスチャンに迫害を加え、イエス様の弟子であり使徒であったゼベダイの子ヤコブを殺しました。使徒の中で最初の殉教者です。同じ人の死であっても、“早すぎる死”がもたらす悲しみはより深いものがあります。使徒達の間で、クリスチャン達の間で、彼の死は大きな衝撃となったことでしょう。しかしヤコブは死してなお主の御手の中にありました。首をはねられたであろうヤコブの苦しみは一過性のものである一方で、神様の加護は永遠です。人の側に「なぜ彼がこの時にこのようにして」という疑問は残るかもしれませんが、ヤコブの場合において神様のご支配と護りは彼を天に召すことであらわされたのです。

II. 主の御手の中にあるペテロの逮捕 (3~6節) →ヤコブの殺害がユダヤ人に受け入れられたのを見たヘロデは、ペテロも捕まえました。過越しの祭りの後に処刑するつもりで(脱獄の過去がある)ペテロを厳重に警備しました。ここに人間の罪深さの表現を見ます。教会の人々はペテロのために熱心に祈りました。警備の兵士と鎖でつながれたペテロは静かに眠っていました。何故眠ることができたのでしょうか。死を受け入れ神様に委ねたからでしょうか。神様は必要なら助けてくださるという信仰があったからでしょうか。いずれにしてもここに信仰者の霊性の表現を見ます。ペテロは捕えられ、拘束されてなお神様のご支配と護りがあったということ、そしてペテロ自身がその現実を認識していたということです。

III. 主の御手の中にあるペテロの解放 (7~10節) →ペテロの処刑の日となるであろう前の夜、彼は解放されました。天使によって目を覚まされ、身支度をし、ついてくるようにと指示されました。神様はペテロの手の鎖を落下させ、警備の兵隊が気付かないようにしてくださり、鉄の門を自動で開放してくださいました。正気ではなく幻を見ているかのような状態の中でペテロは牢屋の外へと連れ出されました。ペテロの死の時はまだ来ていなかったのです。彼にはまだ神様のためにするべきことがあったのです。神様にはタイミングがあります。そして神様のペテロに対するタイミングを誰も邪魔することができないのです。神様のご支配と護りは彼を解放することであらわされたのです。

IV. 主の御手の中にあるペテロの証し (11~19節) →牢屋の外に出て、完全に目覚めたペテロは神様が自分にしてくださったことを認識し神様をあがめました。そしてヨハネ・マルコの母マリヤの家へと向いました。そこには多くのクリスチャンが集まりペテロのために祈っていました。夜を徹して熱心な祈りをささげていた彼等でしたが、「ペテロが来た」という女中ロダの言葉をにわかには信じることが出来ませんでした。ようやく門を開けてもらったペテロは皆と再会し、驚き興奮する彼らを落ち着かせ、神様の牢屋からの救いのみわざについて説明しました。囚人を逃がしたら、囚人が受けることになっている罰を受けることになる兵士達の間では大騒ぎとなりました。神様のみわざを前にして人はあわてふためくのみです。神様のご支配と護りはペテロの証しの中であらわされたのです。

まとめ:永遠にイエス様の御手の中にある現実-それは信仰者の喜び・平安・感謝・賛美の土台 →私たちクリスチャンの地上における肉体的(一時的)経験は、神様との関係に影響を与えることはありません。どのような経験をすることになっても、私たちはイエス様の御手の護りの中にいることができるのです。ある人は“少し早い”と思われる死を迎え、ある人は絶体絶命と思われる中で生かされます。どちらも神様のご支配と護りです。ですから、私たちは生きることにおいても死ぬことにおいても、私たちの救い主イエス様があがめられることを願うことができるのです。(ピリピ1:20) 神様がどのように私たち一人ひとりを取り扱われるかについては、当然理解できないこともあります。目の前に起こってくる出来事について、どのように神様の栄光があらわされるのかわからないこともあります。(Iコリント13:9-12) しかし、信仰者は信仰を働かせることができます。人生において、最悪と思われる場面において、なおすべてを委ねることができるお方がおられます。イエス様の御手の中にあることを信ずる者は、イエス様の御心の真ん中に留まり続けることができるはずです。みことばによってイエス様にある祝福の立場を知り受け入れるならば、困難な中にも主にある喜びと平安を経験でき、感謝と賛美にあふれるはずです。あなたはイエス様の御手の中にある幸いを経験していますか。

 

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