イエス・キリスト様の復活によって、イエス様が神の御子であられることがあらわされたと同時に、キリストであられることがあらわされました。(使徒の働き2:32-36) “キリスト”は職務を説明しています。復活されたイエス様は、旧約聖書がご自分について記しており、それら一つひとつの約束が実現することをお語りになりました。(ルカ24:44-48) 新約聖書を含めて聖書は人が信ずることが出来るための資料を提供しています。それは同時にイエス様が預言者・祭司・王として油を注がれたキリストであられることを信ずることが出来るためでもあるのです。(ヨハネ20:31)
イエス様は預言者として、お語りになるお方です。(へブル1:2) イエス様がお語りになったことを聞き信ずる者には祝福が約束されています。(ヨハネ5:24) イエス様がキリストであられること(救い主としての職務をお持ちであられること)を信ずる人は、さばきに会うことがなく、永遠に罪を犯さない中で神様と共に生きることが出来るいのちが与えられます。
イエス様は大祭司として、自らが非の打ちどころがないいけにえとなられました。(ローマ8:31-34) このことにより、罪のある人間が神様の前において義と認められるということが実現しました。そして義と認められたクリスチャンはなおイエス様の執り成しの恵みに与っているのです。イエス様は悪の霊の妨害を退けられ、宇宙の中心に存在されるお方です。(へブル4:14-16) クリスチャンはやがて栄化された肉体をもってイエス様のもとへと移されるのです。現在クリスチャンの肉体は地上にあっても神様の御前である恵みの御座に近づくことがゆるされ、イエス様は神様との交流を助けてくださるのです。
イエス様は王であられるため、クリスチャンはこのお方に従うことを優先することが求められています。(ルカ14:26-27) イエス様の弟子は、自身が十字架につけられることを承認し、自己を“はりつけ”にして従うのです。イエス様を王として認めるということは、所有権はイエス様にあり、イエス様の統治に委ねるということです。(同33節)
復活されたイエス様が私たちになお語りかけておられ、執り成しておられ、治めておられる事実をわきまえつつ今週も歩ませていただきましょう。