「知ること」は、生活をしていく上で重要なことです。知識の蓄積によって、物事をスムーズに、また問題なく進めていくことができるからです。逆に「知らないこと」は私たちに色々なかたちで不都合な状況をもたらします。知らないことによって、不利益を被ったり、恥ずかしい思いをしたり、損をしたり、時には身を危険にさらすことさえあるでしょう。
今日の聖書のことば(ルカの福音書23章34節)は、イエス様が十字架にかかっておられる時に発せられたことばの一つです。イエス様は苦しみの中で、“自分が何をしているのか知らない”人々のためにお祈りをしてくださいました。この人々にはあなたも含まれています。ではあなたを含めた人々は何を知らないのでしょう。そして何を知るべきなのでしょう。
現代の世の中には、情報が溢れています。それらすべてが重要な情報、知るべき情報というわけではありません。では聖書に記されている情報はどうなのでしょうか。これは知るべきものなのでしょうか。
聖書には以下のことが含まれています。
・神は存在するのか
・世界はどのようにしてできたか
・人間はどのようにして、またなぜ存在しているのか
・世界にはなぜ不幸なことが存在するのか
・人間はなぜ死に、また死んだ後どうなるのか
これらの情報はあなたにとって重要な情報ではないでしょうか。
聖書は確かにあなたが知らなければならない以下の真実を伝えています。
①本当の神が存在する
②神によって世界/人は造られた
③人は神に逆らったので不幸になった
④神は人が幸せになれるように方法を準備された
あなたはこれらの聖書のことば、知るべき真実をもっていますか。「知る」とは単なる知識にとどまらず、信ずること、受け入れること、そして知っていることを土台として生きることを意味します。
聖書のことばを知ると良いものが神様から与えられます。それはいつまでも続く良いものです。それを「救い」と言います。それはあなたの人生を実際的に変え、永遠に変えるものです。本当のことを知るとは、本当の神を知ること、自分の本来の姿を知ること、そしてダメになってしまった自分を良いものへと変えるために神様がしてくださったことを知ること、信じることです。神様は、その変化があなたに起こることを望んでおられます。(Iテモテ2:4)
聖書に記されている神様、聖書をくださった神様は、愛と憐れみに満ちておられるお方です。今日の聖書のことばにそれがあらわされています。イエス様は十字架刑になりましたが、それはご自分の何か悪い事のためではなく、あなたの身代わりだったのです。あなたは(最初に神様に逆らった人の子孫として)神様の前に罪をもって生まれ、罪を犯し続けてきました。自分を造り生かしておられる神様を認めない態度、その生き方が罪であると聖書は言っています。その結果は死と滅びでしたが、イエス様がそれを引き受けて罰を受けられたのです。罪のまったくないイエス様が罪のあるあなたのために死んだ、それがイエス様の十字架刑の意味です。イエス様は神様とあなたの間に立ってあなたがゆるされること、救われることを願ってくださったのです。
このことば(祈り)を口にされ死んでいかれたイエス様は、罪がありませんし、また神であられますから、死後三日目に生きかえられました。そして、だれでも、イエス様の十字架の死が自分のためであったと信じるならば、神様の前における罪をゆるしていただき、永遠のいのちをいただくことができます。これを「救われる」と言います。
まとめ:イエス・キリスト様を知り 信じることは、あなたの人生で一番大切なことです
イエス様を知らないならば、後で“損をした”では済みません。単に“恥ずかしい”で済むものでもなく、笑って済まされるものでもありません。またお金や時間が解決するものでもないのです。これはいつまでも(永遠に)あなたに影響を与え続けるものです。
聖書から真実を知ることは大事なことです。あなたのために死に、そして復活されたお方を知り信じることは大事なことです。イエス様を知るとは、イエス様(神様)と正しい関係を築くことであり、あなたの永遠の幸せを確保することです。
「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)
「永遠のいのちとは…唯一のまことの神…と…イエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)
「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています」(ヨハネ第一3:14)