ステパノの説教は使徒の働きの中で、一番長いものです。ステパノは宗教指導者たちの訴えに対する弁明の機会に、神様がどのようにイスラエル民族を扱ってこられたかを歴史の流れに沿って語りました。彼のメッセージから永遠に変わることのない神様のみわざの原則を見ることができます。
ステパノに対する訴えは、彼が、ユダヤ人にとって偉大な預言者であるモーセを汚した、また聖なる神殿を汚した、というものでした。ステパノはその訴えが真実であるかという大祭司の問いかけに直接答える代わりに、神様がどのようにご自分の民に対して働かれたかをアブラハムの時代から語り始めました。
① イサクの父アブラハムの時代 (2-8節前半) →彼が不当な訴えに対して、急ぐことなく、また感情的になることなく、(そして自分のことではなく)神様がどのようなお方であるかを淡々と語る姿は、私たちクリスチャンが学ぶべきものです。神様はアブラハムに (a.)あらわれてくださり (b.)命令(召命)を与え (c.)約束/予告をしてくださったことをステパノは語りました。神様からのメッセージはアブラハムが最初から理解し、信じることができるものであったわけでは必ずしもありませんが、息子イサクの誕生により、アブラハムは神様のご計画が果たされていくのを確認し始めたのです。
② ヤコブの子ヨセフの時代 (8節後半-16節) →イサクの次男ヤコブを神様は選ばれ、このヤコブから12部族となる12人の息子が誕生しました。ステパノはヤコブの11番目の息子であるヨセフが兄弟たちによってエジプトに売られていくところから歴史を振り返ります。神様はヨセフと (a.)共にいてくださり (b.)助けてくださり (c.)祝福を与えてくださいました。ヨセフの兄弟たちの動きは、後にこの世界においでになるイエス様に対してユダヤ人たちがどのような取り扱いをするかを映し出すものでもあります。
ステパノが語った族長時代の歴史は、彼を訴える宗教指導者たちがよく知っていることであり、反論の余地がないものでもありました。ステパノはそれを踏まえて、彼を訴える要因として挙げている、モーセや神殿の時代の前から神様の(ご自分の民に対する)お取り扱いは始まっており、神様のご計画は進められてきていることを語ったのです。
まとめ:アブラハム・イサク・ヤコブの神はほむべきかな →アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフの人生をコントロールされ、導かれた神様は、今を生きる私たちの人生をも支配されるお方なのです。ですからへりくだりましょう。族長たちが神様の救いのご計画の中に(救い主到来前に)組み込まれたように、(救い主到来後に生きる)私たちも神様の救いのご計画の中に組み込まれているのです。ですから感謝しましょう。族長たちがそれぞれの時代で、神様に特別の目的をもって使われたように、今の時代においても神様は特別な御心と目的をもって私たち一人ひとりを使ってくださるのです。ですから喜んでお仕えしましょう。