イエス様の復活により、神様の義も示されました。人間だけの世界で考える時に、イエス様の十字架の死は犯罪人としての処刑でした。当時の人々は、ご自分の神性を主張なさるイエス様は神を冒涜する者であるとして訴えました。しかし神様のご計画から考える時に、イエス様の死と復活は神様の正しさを映し出すものであったのです。
罪人は罪を犯す結果罪人になるのではなく、罪人であるために罪を犯すのです。罪の性質をもって生まれた人間は、中にある罪を犯す可能性を、条件が整う時、外側に表現するのです。このようにしてすべての人間は不義の存在なのです。
イエス様の送られた地上におけるご生涯は神様の正しさの中にありました。イエス様は罪と関わりのない方であられましたが、父なる神様の定めにしたがい、罪人の策略を容認される中で、罪となられました。(IIコリント5:21; ローマ8:3) しかしイエス様の復活により、イエス様が完全に正しいことがあらわされました。(ローマ1:3-4) そしてそれはイエス様を信ずる者に与えられる義認へとつながったのです。(ローマ4:25)イエス様によって与えられた福音の中には神の義があらわされているのです。それは神様の栄光の表現でもあります。(ローマ6:4)
イエス様の一連の行動は父なる神様の御心を行う正しいものでした。(ルカ24:6-7) それは不義を表現する私たち人間とは正反対です。イエス様の義の行動は聖霊なる神様を通しても実行されあらわされたものです。(Iペテロ3:18)イエス様を復活させてくださったお方の御霊を内に宿す私たちは(永遠の存在を保障されることに加えて)肉体的にも保持されているのです。(ローマ8:11)
イエス様によってあらわされた神の義は永遠のものです。私たちの救い主となられたイエス様は私たちを義と認定してくださっています。この恵みと素晴らしさを覚え、義と認められた者として、神様の義を生活において映し出す存在とさせていただきましょう。