マルタの島で三ヶ月を過ごしたパウロたちは、再び(別の)アレキサンドリヤの船で出帆し、シラクサ、レギオン、ポテオリと移動しました。ポテオリでは一週間何人かのクリスチャンたちと過ごしました。(その自由がパウロには与えられました)アッピヤ街道を進むパウロはローマからのクリスチャンたちの出迎えを受け励まされました。カイザリヤを出発して約半年、パウロはついにローマに到着しました。パウロはここで軟禁状態に置かれます。
今回の箇所では、ローマに向かうパウロに会った「兄弟たち」が登場します。兄弟には、いくつかの意味があり、それぞれの意味で聖書には登場しますが、特にクリスチャンの間で使われている兄弟について考えてみたいと思います。
I. 分かち合う関係 →クリスチャンの兄弟の関係は、分かち合う(シェアする)関係です。兄弟たちは霊的に勧め、励まし強め合います。(ルカ22:32; 使徒5:32; 16:40; 18:27) また物質的にも援助し助け合います。(使徒11:29; IIコリント9:5; IIコリント11:9; ヨハネ第三5) お互いにどうしているかを気遣い合います。(使徒15:36; 21:7; 22:5; ローマ16:14; コロサイ4:15; Iテサロニケ5:26; Iコリント16:20; IIテモテ4:21) 消極的には躓かせないように配慮をし(Iコリント8:9-13)、積極的には愛を表し(Iテサロニケ4:10; Iペテロ1:22; 3:8; ヨハネ第一3:14; Iコリント15:58; ヤコブ1:16,19; 2:5; ピリピ4:1)、祈り合います。(使徒15:23)
これらの分かち合いを通して、兄弟はお互いを主にあって建て上げ、共に主の望まれる教会を建て上げていくのです。
II. 主を中心とした関係 →クリスチャンの間で「兄弟」が頻繁に使われるようになったのはペンテコステ以後のことであったと思われます。使徒の働きでは呼びかけの表現として何度も登場します。(その中にはユダヤ人としての意味合いで使われているものもあります) 「兄弟」は同じ主イエス様によって救いを経験しているクリスチャンが主にあってつながっていることを表しています。(使徒1:16; 7:2; ローマ7:4; 15:14; ピリピ3:1; ヤコブ2:14; 5:12,19; Iテサロニケ1:4; IIテサロニケ2:13; ヘブル3:1; IIコリント8:23; コロサイ1:2)
III. 主との個人的な関係 →興味深いことは、主イエス様ご自身がクリスチャンたちを兄弟と呼んでおられることです。直接的に彼らをそのように呼んでおられるのは、主が復活された後です。(マタイ28:10; ヨハネ20:17) それは救いのための代価が支払われたことにより、主が真に彼らの兄弟となられたことを意味しています。(ヘブル2:11, 12, 17) そしてこの関係に相応しいクリスチャンの状態とは、救い主イエス様に真心からお従いし、お仕えするというものです。(マタイ12:50)
まとめ:主にある兄弟姉妹であることの祝福と責任(役割)を覚えましょう