8月11日 いのちのパン②

“いのちを大切に、と学校ではよく教えられるが、生きていること自体に意味があることを多くの人は理解していない”と仰る方がいらっしゃいます。しかしこれは生きていることの意味の説明ではなく、また「いのちを大切にすること」の動機づけにもなってはいません。自分にいのちを与えた存在がいることを知らなければ、生きていることの意味も、いのちを大切にすることの重要さもわからないのです。神の存在を知らなければ、「できるならば知りたいのだけれども、どうしていいかわからない」という状態のまま、人は違ったもので「餓え渇き」を満たそうとするのです。今回もいのちのパンであられるお方について学び、このお方だけが人の根本的な必要を提供することが可能であることを学びたいと思います。

I. いのちのパンとは: イエス様ご自身である

①先ず、いのちのパンとは神様からのものです。イエス様は神のもとから来られたお方だからです。
「わたしは天から下って来た」(41-42, 50-51節)
「神から出た者…父を見た」(46節)

②いのちのパンとはいのちを与えるものです。人を霊的に活かし(生かし)永遠の幸いな存続を可能とするものです。
「わたしはいのちのパンです」(48節)

③いのちのパンとは犠牲的なものです。イエス様は、ご自分のからだをいけにえとし、人々の罪を取り除く小羊となられました。
「わたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉」(51節)

II. いのちのパンを受け取る方法は: 神様のお働きに応答することである

①神様は、人がいのちのパンを受け取ることができるように働いてくださいます。
「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり」(44節)
「わたしが与えようとするパン」(51節)

②いのちのパンを受け取るために、人は神様のお働きに対して応答する必要があります。
「父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます」(45節)
「信じる」(47節)
「食べる」(50-51節)

III. いのちのパンを受け取る結果は: いつまでも続くまことの幸福である

①いのちのパンを受け取る人はよみがえります。それは想像をはるかに超えた素晴らしい状態への復活です。
「わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます」(44節)

②いのちのパンを受け取る人は永遠のいのちをもちます。それは神様といつまでも幸いな状態で暮らすことができる祝福です。
「信じる者は永遠のいのちを持ちます」(47節)
「それを食べると死ぬことがないのです」(50節)
「このパンを食べるなら永遠に生きます…世のいのちのため」(51節)

③いのちのパンを受け取る人は霊的生活をします。それは地上の生涯において、神様を認め、神様のために生活する歩みです。
「わたしはいのちのパンです」(48節)

まとめ:いのちのパンであられるイエス様を信じた人だけが 本当に幸せな人である
自分にいのちを与えたお方を知ることは大切です。そしてまことのいのち(霊的いのち)を与えることがおできなるお方を知ることはもっと大切です。それにより、人はまことの神様を知り、自分の真の姿を知り、神様に向かって方向転換することができるのです。それは人として本来持つべき生き方に立ち返ることです。それは神様のために生き、神様にお仕えし、神様をお喜ばせする生き方です。それはこの世界においても、やがて来る世界においても神とともに生きることを意味します。それは心の奥底で平安と喜びを経験できる生き方です。これを幸せと言わずして何を幸せと言うのでしょう。

 

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