聖書は、人がイエス・キリスト様によって安らぎを得ることができることを教えています。(マタイ11:28-30)人は色々な困難に遭遇し疲れてしまうものです。時代は変わっても、人は疲れはてるものなのです。そのような人の心にイエス様は安らぎを与えてくださいます。しかし、これは“イエス様を信じるなら問題がすべてなくなる”ということを意味してはいません。 そもそも人は何故疲れ果てるのでしょうか。一般的には、“それは問題が多いからだ”という理由をあげます。しかし聖書は、それはまことの神様を知らないからだと述べます。(マタイ11:27)すべての人は、(神様に背いた)最初の人アダムとエバの子孫として罪の性質をもっています。罪は人と神様との関係を断ちます。罪の問題が解決されることにより、神様との交流をいただき、霊的な食べ物であるみことばによって人は本当の意味で生きることができるようになります。(マタイ4:4)神様との交流―神様を知ること―が安らぎの鍵です。安らぎの土台は、人が神様の前に悔い改め、神様が与えてくださった救い主イエス様を信ずることによって築かれます。これは人が神様によって新しく生まれることを意味します。(ヨハネ1:9-13)
イエス様を信じ救われることは、本当の安らぎを経験するスタートです。クリスチャンは継続してイエス様の弟子として学んでいくことが必要です。イエス様と共に歩むことによって安らぎを経験していくことができます。人が救われる時も、救われてからもイエス様が安らぎの鍵なのです。 罪をもっている人は、本来神様によってさばかれなければならない存在ですが、唯一の救いの道であられるイエス様はそのような者たちの所に来られ、交流の道を開いてくださいました。(ヨハネ14:6; 3:16-17)
あなたも安らぎを見出すことができます。聖書の中に登場するパウロは困難が多かった人の一人ですが、彼はどのような困難があっても、イエス様と共に歩むことによる勝利を経験しました。(ローマ8:35-39)クリスチャンとしても安らぎを失ってしまうことがあるでしょう。イエス様は、あなたがイエス様から学ぼうとするならば安らぎが与えられると約束しておられます。