☆今日の出来事☆
昨日は気温が38度台という猛暑の中、夏の特別集会(第一集会)が開かれました。初めての方はいらっしゃいませんでしたが、イエス様をまだ信じておられない3名の方が再び集ってくださいました。
メッセージでは、マタイ7章のイエス様がされた“賢い人と愚かな人”のたとえ話から、どのような人にも人生の嵐が到来する現実の中で、イエス様という土台に自らをしっかりと据えることの大切さを学びました。またイエス様に土台を据えたクリスチャンは信仰の歩みにおいて、神様が価値をお認めになる建物を建てあげることの大切さを学びました。
今日はとても暑い中での主日礼拝となりましたが、兄弟姉妹の体調も護られ、共に主に礼拝をお捧げすることができました。
これまでショートステイをされていたO兄でしたが、グループホームに入所されたと息子さんからの連絡がありました。体調は落ち着いておられ、教会に行きたい、みなさんにお会いしたいと願っておられ、訪問は大歓迎とのことでした。新たな場所でのO兄の毎日の生活の上に続いて、神様の護りと祝福がありますように。また、教会に行きたいと切に願っておられるO兄が再び教会に足を運ぶことが出来るまでに回復へと神様が導びいてくださいますように。
本日の主日礼拝では昨日の夏の特別集会(第一集会)に続き、バーゲット先生ご夫妻をお招きしての特別集会(第二集会)が行われました。メッセージでは昨日のメッセージに引き続いて、安らぎの鍵というテーマで、マタイ11:28~30からメッセージをしていただきました。問題が多いために私たちはさまざまな事で疲れますが、イエス様ご自身が安らぎの鍵であられ、イエス様と共に歩むこと、イエス様との歩みを継続すること、へりくだって一生をかけてイエス様から学ぶこと、父なる神様との交わりをすることで、本当の安らぎを得ることができるということを教えていただきました。安らぎの鍵であられるイエス様との関係が今どのような状態にあるかを示され、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」と招いておられるイエス様の元へともっともっと近づき、共に歩みたいという気持ちが再び起こされました。
第二集会の後に行われた食事の時間や交わりの一時も神様が豊かに祝福してくださり、主にある幸いを共に感謝する時となりました。
バーゲット先生ご夫妻は交わりの後、車で新潟へと帰られましたが、長い道のりとなりますので帰りの道中が護られ、これまでの疲れを神様が速やかに癒してくださいますように。また、新潟での働きのためにも神様が続いてお二人を用いてくださり、祝福してくださいますように。
2日間にわたるバーゲット先生ご夫妻をお招きしての夏の特別集会でしたが、来会者も与えられ、メッセージによる励まし、共に心を合わせての讃美、主にある交わり、その一つ一つを神様が豊かに祝福してくださり、本当に恵まれました。神様の導きと祝福を心から感謝します。
☆特別讃美☆
バーゲット先生ご夫妻によって、『最善を献ぐ』の特別讃美がありました。日本語と英語による歌詞と、素晴らしいハーモーニーでの讃美がささげられました。良きものを主にささげよう、ただ主のために尽くさん。たとえ賜物少しでも、主に最善を献ぐ。との歌詞に、そのような心で私たちも主に仕えていきたいと励まされました。
☆救いの証し☆
今回の特別集会の講師、バーゲット先生の奥様であられるシンディ夫人が救いの証しをしてくださいました。 「私はクリスチャンではない家庭に生まれました。母はクリスマスとイースターだけ教会にいくような人でした。父は公務員だったため引っ越しを多くしました。
13歳の時にアメリカのテネシー州に引っ越しました。ある土曜日に、外で遊んでいたところ、教会の人がやってきて、“教会に行ってる?”と尋ねました。自分たち家族が引っ越して来たことを知っていたらしく、教会には中学生も沢山いるので来てみないかと誘われました。そして次の日曜日に初めて教会のバスに乗って教会へ行きました。最初に教会に行った時から、教会の人たちは私によくしてくれて可愛がってくれました。私は教会が好きになって、教会へ毎週通うようになりました。聖書を勉強したいとかではなく、教会の人たちの温かさに触れてそのようになったのでしょう。1ヶ月程したある日曜日の礼拝の時に、招きの時間があり、ある女性が私の所へ来て、“天国へ行きたい?”と尋ねました。私は“はい、行きたいです”と答えましたら、前の方の席に一緒に座るように言われ、決心カードというものに住所と名前を書くように言われました。言われるがまま記入しましたら、その女性が“救い”の欄にしるしをつけました。その後、牧師が私を前に立たせて、“今日、シンディさんはイエス様を信じました。救われました。”と言いました。教会の皆さんは喜んでくださいました。私はまだ1ヶ月しか教会に来ていなかったので、“あ~、こういう風にして天国へいけるのか”と思っていました。その時私はとても喜んで、それ以来毎晩のように教会に行き、奉仕もたくさんするようになりました。
約1年後、14歳の時に若者の交わり会のような集いがありました。その時に一人ひとりが救いの体験談をすることになったのです。他の人の体験談を聞いていましたら、“私は罪の結果の罰から救われました”とか“イエス様は私の代わりに死んでくださって私の罪をゆるしてくださった”とか話していました。誰も決心カードのこととか、“救い”の欄のしるしの話はしなかったのです。私はその時“自分は何を信じているのだろう”と思いました。その後のメッセージはヨハネ3:16からで、特に地獄のことが強調して語られ、自分が今まで罪の悔い改めをしていなかったことに気付かされました。そして、その夜自分の罪のためにイエス様が代わりに死んでくださったことを信じて救われました。その後も教会に“入り浸り”の日々が続き、母からは“そこに住んだら”と言われるほどでした。
15歳の時に、教会で宣教カンファレンスがあり、日本への宣教師の先生から日本の様子を紹介されました。スライドを見ながら、日本の多くの人々が神社や寺で拝むことを知らされとても悲しい思いになりました。生きておられる本当の神様を知らないで偶像を拝んでいる人々のことを知って、“神様、私でよかったら、行きたいです”という思いが与えられ、その時その思いを神様に申しあげました。高校卒業後に神学校に入り、友人を通じて今の主人と出会い、結婚し、今から29年前に日本に宣教師として来ることになりました。特別讃美で歌ったように、賜物はわずかであっても神様におささげしたいという思いで日本にやってきましたが、神様がこれまで導いてくださったことを感謝します。」
☆本日のランチ・お花☆