9月2日 霊性が問われる実践的ススメ①

5章の後半で、肉の行いと御霊の実が比較され、クリスチャンは御霊の導きによる歩みをすべきであると結論付けられました。しかし、御霊の実に特長付けられる歩みとはどのようなものなのでしょうか。霊的であるとはどういうことなのでしょうか。パウロはこの手紙(書)の最初の4章で、ユダヤ主義者たち(律法主義者たち)のあやまりについて語りました。霊的であるとは、恵みの教えに何かを付け加えることでもなく、肉の欲を満足させようとすることからの自由(解放)を信じるということでもありません。霊的であるとは、肉の行いではなく、御霊の実を示すことです。パウロは今回の箇所で個人的(人間)関係(と6節から10節でお金の使い方)という日常生活(教会生活)に関することに触れ、これらについてどのように振る舞うかによって霊性がはかられることを語り、実践的なススメを与えます。

I. 罪に陥った兄弟に対して適切に対応せよ(1節)
この節で言われている「あやまちに陥った」人とは、“知らないで”罪を犯してしまっている人のことです。このような兄弟(他のクリスチャン)がいたら、何を誰がどのようにすればよいのでしょうか。
*何をすべきか→「正してあげなさい」とは(公にではなく)個人的にその兄弟を回復させるということです。正すとは、あるべき元の状態に戻すということです。御霊によって歩んでいない兄弟を助け、再び神様のお役に立てる状態にするということです。それが一番の目的です。(罰を与えること、恥ずかしい思いをさせることが目的ではありません)
*誰がすべきか→霊的な人がするようにと言われています。それは、御霊に応答し、御霊によって支配された歩みをしている人のことです。そのような人は神様を愛する人であり、それゆえ兄弟を愛しています。ですから兄弟のあやまちを見過ごすことができないのです。霊的なクリスチャンは、兄弟を回復させることができる成熟さを持っているのです。
*どのようにすべきか→柔和さをもってするようと言われています。罪に陥った兄弟への対応は、気分や感情によってなされるのでなく、神様を見上げるかたちで行われなければなりません。また正す者も、自身が同じ誘惑に陥る可能性をもっているという認識のもとに兄弟を回復させることに努めるべきなのです。(IIテサロニケ3:15)

II. 重荷を負った兄弟を助けよ(2節)
兄弟が負っている「重荷」とは、その兄弟が自分では到底負うことができないレベルのものです。その重荷には、兄弟のあやまちや弱さ、また生活における様々なプレッシャーの中での悲しみや苦しみが含まれます。そのような重荷を抱えた兄弟を助けることは、キリスト様がお与えになった「新しい戒め」(ヨハネ13:34)を少なくとも部分的に成就することになるのです。

III. 互いの重荷を負うことを妨げるものを排除せよ(3~5節)
互いに兄弟の重荷を負いあうことを妨げるものが少なくとも二つあります。一つは、自分が実際よりも重要であると思うことです。自身を上に置き、兄弟の重荷を負うことをしないのです。自分が(神様の標準からするならばそうではないのに)何者かであるように振舞い、罪に陥った人を見下げるのです。
もう一つは、自分自身、そして自分自身の働きと他の兄弟とを比較することです。神様の前に自分の歩みが正しいものであるか確かめた上で、兄弟の霊的助けをすべきなのですが、それができないのです。自分を誇る人の理由は、その人にのみあるのです。本来クリスチャンは、神様がその人の上になされたことのみにおいて喜び誇るべきなのであって、他のクリスチャンと比較してであってはならないのです。(Iコリント1:31; IIコリント10:12)
一人一人は神様から役割をいただいています。それを果たす責任は(第一には)神様に対してあるのです。ですから、神様に目を向け、謙ってお仕えし、神様に栄光を帰すことが重要なのです。
人それぞれには負うべき「重荷」があります。5節の「重荷」は2節の「重荷」とは違うものです。これは負うことが可能なもので、神様から与えられている(生活における)義務とクリスチャンとしての働き(奉仕)の召し/使命です。神様はこれらの責任を忠実に果たすことをお求めになります。(IIコリント5:10)
自身の重荷を負うことは当然の責任です。他の兄弟の重荷を負う命令は(ある意味)義務以上を行う命令です。それをする霊性があるかどうかが問われているのです。

まとめ:個々の霊性の向上は、主がお望みになる教会形成に直結している
教会生活、そして兄弟姉妹との交わりは、自己中心ではなく神様中心/他者中心を訓練する機会です。他の人を助け支えるには、人の事を考える余裕、助けるための時間と力の余裕も必要です。霊的な人、クリスチャンとして成長し成熟している人は、助けを必要とした人(兄弟)を認知したとき、何をすべきか、またどのようにすべきかを心得ています。“霊的余裕”、懐の深さもあるのです。教会においても、罪の問題、重荷となる課題が発生します。そのような現実の中で、「御霊の人」の果たす役割は大きいのです。教会においては、クリスチャンの人数以上に、信仰者としての質、霊性の高さが重要です。あなたの霊性はいかかでしょうか。あなたはクリスチャンとしての質の向上を願っておられますか。

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