9月13日 豊かな信仰生活

イエス様をまだ信じていない人には“豊かな人生”への招きがなされます。神様に造られた人が、神様のもとに帰り、救いを経験し、神様によって造られた目的を果たしていくようにと。クリスチャンとは、この豊かな人生を送っている人です。しかし、私たちは本当にクリスチャンとして、豊かな人生を送っているでしょうか。豊かな信仰生活をしているでしょうか。今回、イエス様はぶどうの木のたとえから、私たちに豊かな信仰生活、実を結ぶ信仰生活についてお教えになり、チャレンジしておられます。(ヨハネの福音書15章1~11節)

I. 実を結ぶことは神様の御心である(1~3節)
信仰生活において実を結ぶことの意義は何でしょうか。それは第一に、神様の御心であるということです。ここでイエス様は、この福音書での7番目の(そして最後の)“私は~である”の宣言をしておられます。イエス様はまことのぶどうの木として、父なる神様は農夫(葡萄職人)として紹介されています。ぶどう栽培はパレスチナではよく知られたことです。またぶどうは、神様からの特権をいただいているイスラエル民族をあらわすものでもあります。5節を見ると、私たちが枝であることがわかります。この枝の先に実がなるのですが、実がなるために、良い実がなるために、父なる神様は、ある枝を取り除き、ある枝を刈り込まれます。(実を結ばない枝がどのような人を指すのかについては理解が難しいところですが)ここでは実を結ぶ人に集中したいと思います。実を結ぶ枝のためには“きよめ”がなされます。それは農夫が最大限のそして最高の収穫を求めて、それを妨げる可能性を排除していく作業です。神様は、クリスチャンが霊的に健康で大きく成長するために、必要な(時には痛みを伴う)介入をされるのです。それは神様が、一人一人の霊的健康に関心をもっておられるということです。果樹は実をつけることで存在価値があります。クリスチャンも同様です。

II. 実を結ぶことはイエス様にとどまることによってである(4~7節)
クリスチャンとしての継続的な実の産出は、それを可能にするちから・源と結びついているかが重要になります。それはイエス様にとどまっているかどうかということです。イエス様が、神の御子であられること、唯一の救い主であられることを信じ受け入れ、みことばに従い、イエス様をかしらとした教会(クリスチャンたち)と愛によってつながっているかということです。イエス様のいのちに満たされるならば、実を結ぶことは必然ですが、そこには人の側の自主性が求められます。イエス様にとどまり続けることを選ぶことが必要です。イエス様にとどまること、みことばが心の内にとどまることを受け入れる人は、みことばの権威を意識的に受け入れ、祈りによって継続的に交わる人です。そのような人の神様への願いは、本当に必要な事柄、神様が御心とされる事柄であり、神様がかなえてくださることです。

III. 実を結ぶことは神様に栄光を帰すことである(8節)
クリスチャンが豊かな実を結ぶならば、神様は喜んでくださいます。実を結ぶ歩みにより、イエス様の弟子であることが証明され、認められるのです。(マタイ7:20)イエス様にとどまること、実を結ぶことの動機は神様に栄光を帰すことです。

IV. 実を結ぶことはイエス様の愛と喜びを経験することを含んでいる(9~11節)
父なる神様と御子イエス様、イエス様と弟子たち、そして弟子たちと父なる神様が“お互いに住む”関係は愛の関係です。その関係の中にあるクリスチャンの神様に対する従順は自然な喜びであり、決して苦痛を伴う義務ではありません。イエス様にとどまることは、イエス様の愛にとどまることでもあります。イエス様の愛を絶えず心に覚え、それを楽しみ続けるようにと命令されているのです。御子イエス様の、父なる神様に対する従順が喜びの土台であったように、クリスチャンも神様の命令に対して従順であるならば、同じ喜びを経験することができるということです。人の考える喜びは、可能な限り神様を人生から締め出して幸せになろうとするものであるかもしれません。しかし、本当の喜びは、神様を可能な限り自分の人生にお迎えする時にやってくるものです。クリスチャンはイエス様に従うことによって実を結びます。実を結ぶとイエス様にある喜びを経験するのです。

まとめ: 豊かなクリスチャン生活は、実を結ぶクリスチャン生活である
果物は、視覚・嗅覚・味覚によって人に喜びを与えるものです。高級なものであればなおさらです。では、私たちがクリスチャンとして生み出す実はどのようなものでしょうか。良いものでしょうか。キリスト様の素晴らしさ、救いの素晴らしさが(その効果が)私たちの生き様にあらわされているでしょうか。私たちは誰かの励ましとなり、助けとなり、ちからとなっているでしょうか。そうならば、それらはすべて神様に栄光を帰すものです。結ぶ実は、見えるところの数や大きさがすべてではありません。私たちが、イエス様にとどまり続けるならば、どのようなかたちで、どのような実を結ぶのであれ、神様に喜んでいただくことができる何かを生み出すことができます。それは周囲の人々に良いものをもたらし、教会(兄弟姉妹)を建て上げていく、豊かなクリスチャン生活です。

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