私たちは人に手紙を書く、メールを送る、モノを送る時に、相手からの反応を期待するのではないでしょうか。できればその反応は肯定的なものであってほしいですね。聖書は神様からのお手紙ですが、神様も聖書を読む(みことばを聞く)私たちからの反応を期待しておられます。神様のみことばは不特定多数に送られるダイレクトメールのようではなく、私たちからの正しい応答が意図されているのです。今回は神様のみことばに対する二つの応答について学びましょう。(使徒の働き13:42~52)
I. 神のことばを受け入れない人々の応答 →ピシデヤのアンテオケでのパウロの説教に対して、ある人々は誤った応答をしました。町中の人々がみことばを聞きに集まったのを見て、ねたみの心を持ち、反対し、ののりしました。パウロとバルナバは、みことばを拒絶する彼らは、真実が示されても素直に受け入れようとせず、自ら滅びの道を選んでいることを指摘しました。彼らのみことばに対する姿勢は変わらず、町の有力者たちを迫害へと駆り立て、ついにパウロたちを町から追い出してしまいました。
II. 神のことばを受け入れる人々の応答 →一方 ある人々はパウロの説教に対して正しい応答をしました。パウロの説教が終わってもさらにみことばを求める姿勢を示し、パウロたちから勧めのことばを受けました。彼らはみことばを喜ぶ者たちであり、みことばを聞くことによってさらに喜びに満たされる者たちでした。みことばを尊いものとして評価する彼らは、お語りになっておられる神様を賛美する者たちでした。彼らはみことばを信じ、みことばを伝えました。聖霊に満たされた彼らの意識は神様のみことばに向けられ、みことばを土台として日々の歩みがなされていきました。
まとめ:神様はみことばに対する正しい応答を求めておられる →あなたは神様のみことばにどのような応答をしているでしょうか。聞いて、読んでそれで終わっていませんか。スマートフォン等のメッセージ機能でなされるようにメッセージを受け取っても「既読スルー」や「既読無視」をしてはいませんか。神様のみことばは私たちへの重要なメッセージです。みことばは私たちへの救いの道を示すだけでなく、信仰者として健康に生きるための霊的な食べ物でもあります。神様はみことばを受け取るあなたから、正しい応答、行動(従順)を求めておられます。日々のみことばに対する姿勢を振り返ってみましょう。「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22)