9月27日 賢者の歩み

賢い人とはどのような人でしょうか。聖書の視点から答えるならば、“神様のことばを信じ、それを生活に適用することができる人”と言えます。それはヤコブ書に書かれている、聖書のことばを聞いて実行することができる人のことです。さて、今回学ぶ詩篇は“箴言のような詩篇”です。“知恵の詩篇”とも呼ばれる37篇ですが、この篇は神様に対してではなく、人に対して語られています。
世の中には、不正がまかり通ること、悪者が繁栄すること、正しい人が搾取されることが存在します。そのようなゆがんだ時代(世代)にあって、まことの神様を知るクリスチャンはどのように応答すべきなのでしょうか。賢い歩みとはどのようなものなのでしょうか。(詩篇37篇1~11節)

I. 主を待ち望みなさい(1~6節)

まず賢い者は悪者への反応に注意しなければなりません。彼らに対して“熱くなるな”と言われています。(1節)それは先を見ることによって可能となります。彼らの“繁栄”はしばらくです。(2,10節)また神様を見上げることによって可能となります。彼らではなく、に心を支配されるのです。(3-7節)そして前向きになることによって可能となります。善を行い、憤りを捨てるのです。(3,8節)
悪者は逆境において耐えることはできず、いずれしおれていきます。(2,20,35-36節)ですから彼らへの否定的な感情を持つ可能性のある中で、正しい視点を維持しなければなりません。(7-8節; 箴言3:31; 23:17; 24:1, 19)
賢い者は、自己憐憫や憎しみを抱えるのではなく、主への信頼を前進させるのです。(3節; 箴言3:5; 16:20; 28:25; イザヤ26:4)
神様への信頼とは、難しい状況の解決に希望をもって自身の意思(考え)を神様に委ねることです。(5節; Iペテロ5:6-7)委ねる態度は喜びをもたらします。(4節)神様からの良いものを楽しむのです。悪い状況における肯定的反応は、まさに楽しみの条件となります。
神様への信頼は、積極的な神様への従順によってあらわされます。またそれは神様の正しさに対する熱烈な期待のあらわれでもあります。賢い者は怒り・恨み・妬みを主に明け渡すのです。(詩篇55:22; 箴言16:3)
「道」(5節)は、人生のすべてが含まれています。当然、そこには、悪者に対する否定的な感情、繰り返し湧き上がる疑問、正義の要求が含まれます。賢い者の信頼は、善を行うことであらわされるとともに(3節)、主が働かれることを待つことにおいてもあらわされます。(5節)主は義であられ正しくあられます。ですから、主を信じる者たちは、主がご自分の民に義と正しさを広げてくださる(差し出してくださる)ということに確信を持つのです。(6節)

II. 主のさばきを慰めとしなさい(7~11節)

詩篇の筆者ダビデは6節までに提示されたテーマを繰り返し、発展させています。
悪者が成功し、その成功を楽しむことがあるかもしれません。しかしその成功は、たくらみや(詩篇10:2)、自己中心的な道を選んだ結果であることを忘れてはなりません。(詩篇1:1)
賢者の歩みは、まず否定的な感情を取り扱うことから始めます。怒り・憤り・妬み等は(1,7,8節)、自分自身を、また他の人々を罪へと導く可能性があります。(詩篇78:2-3)
賢者の歩みは、主を信頼することと、善を行うことによって悪を退けます。主の前に静まること、主の救いを待つことによってそれを始めるのです。(7節; 詩篇62:1,5; イザヤ30:15)生きた信仰者は、神様が働いてくださることを知っているのです。(5-6節)
悪者への神様のさばきは、悪者の行いが“未達成の中で終了する”ことを意味し(9節)、完全な滅びを意味します。(10,36節、イザヤ29:20)悪者は定められた時に、草のようにしおれるのです。(2,13節)
神様はご自分を信じる者たちのために義を示されます。それは彼らのための弁明の約束であり、地を受け継がせることです。(9,11節)土地の相続は、世界の神の民に対する神様からの祝福です。(イザヤ60:21)
神様の約束は柔和な者に対するものであり(マタイ5:5)、神様を信頼して(9節)、神様のさばきを待ち望む者、地上において積極的に御心を行う者に対するものです。(11節)柔和な者(他の訳では“貧しい人”、或いは“謙る人”)は自己主張ではなく、信仰による忍耐を選びます。そのような者が地を(或いは“国”を)受け継ぐのです。(3,9,11,22,29,34節)そして主にある大きな平安を楽しみ、主にあって喜ぶのです。
神様は主権者であられ、支配者であられ、裁判官であられます。生きた信仰は邪悪の存在に振り回されることなく、神様の主権に委ねることができます。神様のさばきに慰めを見出すのです。

まとめ: 主にある賢者は、まことの神に期待し、まことの慰めを経験する

まことの神様を知らず、認めない世代は、ゆがんだ世代です。正しいことが認められず、悪が正しくさばかれず、悪者たちが私腹を肥やすこと、そのような社会の実情は、まことの神様を信じる者たちにとって不快なものです。政治に、また学校・職場・家庭に、そして日々接する人々に否定的な感情が湧き上がるかもしれません。しかし、主イエス様に対する信仰は、私たちの思いを肯定的なものとすることができます。神様に期待し、神様に委ねることを可能にします。主にある慰めと平安を経験することができます。神様は、邪悪な人々の存在によって信仰者が心を乱されることなく、“私に期待しなさい、私を慰めとしない”と仰るのです。それを受け入れ信じて生きる、それが主にある賢者の生き方です。

 

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