私たちは誰でも自分が受け入れられることを望みます。神様に対して罪人である私たちが神様に受け入れられるというのは驚くべきことですが、クリスチャンはキリスト様によってそれが現実のものとなっているのです。(ローマ15:7) 神様はユダヤ人だけでなく、(ユダヤ人以外の)異邦人にも憐れみを示してくださいました。それ故 異邦人も神様を礼拝する輪に加わることが可能となったのです。(同9節) ユダヤ人と異邦人が共に神様をほめたたえ、共に喜ぶことができるのです。(同10節)
使徒パウロは異邦人のために働く「囚人」になったと言っています。(エペソ3:1) ユダヤ人と異邦人が神様から同じ祝福を受けることは、以前にはあり得ないことでした。しかし異邦人にも福音が伝えられ、信仰により、そしてイエス様にあって、ユダヤ人と一体とされ、共に祝福を受け継ぎ、約束を共有する者たちとされました。(同6節) パウロは神様のご支配の中でちから(賜物)を与えられ、異邦人にこの素晴らしいメッセージを伝える役割を果たしたのです。(同7節)
私たち(クリスチャン)は異邦人という立場にありながら、神様の愛の表現である憐れみの対象となりました。神様に受け入れられた者たちとして、その祝福を覚えると共に、それがどんなに幸いなことであるかを毎日の生活の中であらわしていきましょう。