9月6日 聖化の基礎である十字架

写真 2015-09-06 11 39 05神様を知らず、“神なき者”として生きてきた私たちは、神様の愛と憐れみにより、神様との親しい関係へと招き入れられました。そのためには神様の、イエス様による莫大な犠牲が必要となりました。イエス様の死と復活により、罪人であった私たちは、イエス様に対する信仰により、義人―正しい者―と認められるという劇的な変化を経験させていただきました。義認が適用されたことは、私たちが罪を犯さない完全な人間になったことを意味しません。なお罪の性質を持ち、罪と戦いながらの生涯を進むのがクリスチャン生涯の現実であると同時に、これが聖化の過程です。イエス・キリスト様の死が私たちの生活に及ぶ時に(そしてそれを私たちが受け入れる時に)、私たちの生き方が浄化されていくのです。クリスチャンは義認で満足することなく、神様が求めておられる聖さへと前進し成長するべきなのです。今回はイエス様の十字架との関連における私たちの聖化の基礎について学んでみたいと思います。
①身代わりの死:神様は罪と無関係の御子イエス様を私たちの代わりに罪とされ十字架で罰しなさいました。(IIコリント5:21) イエス様の十字架の死の大きな目的の一つは私たちが罪の生活を離れ、義の生活をすることです。(Iペテロ2:24)
②結合的死:イエス様の死と復活を信じた私たちは、イエス様と一体となり、共に死んだ者、共に復活した者という扱いを受けています。(ローマ6:5)この真理を信じた人はそれに相応しく生きることが求められています。
③肯定的死:共に十字架につけられた者として扱われている私たちは、その後の歩みにおいても、主のために苦しむことを甘んじて受け入れ従っていくことが想定されています。(マタイ10:38)私たちはイエス様の尊い犠牲によってゆるされたのですが、その事実をその後の歩みにおいて否定するようなことがあってはならないのです。
④発展的死:イエス様の死によって豊かな実が結ばれました。(ヨハネ12:24-25)私たちも主のために捨て身となることによって実が結ばれていくのです。
⑤絶縁的死:(a.)周辺の世→イエス様を信じ救われた私たちは、神様の側に立ち十字架を挟んで世の人々と対峙しています。世の人々が私たちを十字架を重ね併せて見る時に“あわれな人々”に映るかもしれません。逆に私たちが十字架を重ね併せて見る世の人々は、自身の罪を自ら清算する罰を受ける人々として映るのです。(ガラテヤ6:14)文字通り私たちと世の人々とは別世界に生きているのです (b.)内面の肉→イエス様と共に十字架につけられたことを認識する者は肉を拒絶し、罪の奴隷となることを否定します。(ローマ6:6) (c.)宗教的習慣→現代を生きる私たちは旧約の儀式は本体であるイエス様を示す影であることを認識した上で歩みを続けていきます。(コロサイ2:16) (d.)のろいの除去→イエス様の死により、様々なのろいが取り除かれています。(ガラテヤ3:13)私たちの歩みはすべてが平穏無事というわけではありませんが、それら一つひとつを神様は通らせてくださいます。
⑥解放的死:私たちはキリスト様と共にいのちに生きる者と変えられました。(ローマ6:5-11; 7:14)
イエス様はご自身の十字架の死を通して、私たちのクリスチャン生涯における、これらの聖化の基礎を築いてくださいました。神様はイエス様に従い頼る者を、聖さへと導いてくださいます。そこに私たちの希望があるのです。

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