「命」ということばには、“最も大切なもの、唯一のよりどころ”という意味もあります。イエス・キリスト様と出会い、イエス様による救いを経験したクリスチャンにとって、イエス様は「命」です。そのクリスチャンの考え方や価値観、そして生活スタイルは変えられ、イエス様を第一とし中心としたものとなっていきます。今回はイエス・キリスト様を信ずる者だけが表明する三つの宣言を学びたいと思います。(ヨハネの福音書6章67~71節)
イエス様を信ずることができない人々は、イエス様のもとを去って行きました。イエス様は12弟子に対して、“あなたがたも去って行こうとはしていませんよね”と仰いました。
I. わたしはイエス様に従います(68節前半)
弟子のペテロはイエス様の問いかけに12弟子を代表して答えました。ペテロはイエス様を主と認めています。彼がイエス様に従うのは、イエス様が彼にとってご主人様であるからです。彼はイエス様のものであり、イエス様にお仕えするしもべ(奴隷)であるという認識です。さらに、イエス様は彼にとって唯一のご主人様であり、他に仕えるべき存在を知らないのです。
人は何かに、誰かに従って生きるものです。ペテロは、他の人々が従わなくても(ついて行くことをやめても)自分はイエス様に従うことをここに宣言しているのです。
II. 永遠の幸いはイエス様にあります(68節後半)
ペテロはイエス様の教え(ことば)の性質に注目しています。イエス様のことばは自分に対する(個人的な)ものと認識しています。イエス様のことばは人を生かし(活かし)ます。まことの神様を知らされ、自分の真の姿を知らされ、救われ、生きる目的を明確にされ、生きる動機が与えられます。さらにイエス様のことばは永遠のいのちを与えます。死後の永遠の幸いの保証がそこにはあります。
III. イエス様は 神の聖者です(69節)
ペテロは、自分たちはイエス様を信じ、知っていると宣言しています。それは“信ずるところまで到達し、そこにいる、そして真実を知りそれを握っている”と告白しているのです。イエス様が「聖者」であられることは、イエス様と父なる神様との関係を説明しています。父なる神様は、イエス様をこの世界に遣わされたお方です。ですから「神の聖者」なのです。神様は聖いご性質を持っておられるお方です。(ヨハネ17:11; イザヤ41:14;43:3;47:4;48:17) 父なる神様はイエス様を聖いご存在としてとりわけられ、遣わされました。(ヨハネ10:36)イエス様の聖さゆえ、罪に汚れた者たちが救いを受けることができるようになりました。イエス様は完全に聖いこひつじとして罪人のために犠牲を払われたのです。(ヨハネ1:29)
まとめ:日々の歩みにおいて「イエス様はわたしのいのち」であることをあらわしましょう
今回学んだ宣言は、先ずイエス様に対する従順の決意です。これにはイエス様に対する謙遜さと忠実さが伴います。そしてみことばを堅く持ち続けることです。これにはイエス様に対する信頼と依存が伴います。さらに確かな救いの告白です。これには聖なるお方イエス様が、罪に満ちた者を救われたことの信仰告白が込められています。あなたはこれらの宣言をしますか。もしそうなら、これらの宣言があなたの歩みの中で具体化されているでしょうか。あなたにとって、イエス様が最も大切なお方で、唯一のよりどころであることがあらわされているでしょうか。聖歌にある「イエスはわがいのち またよろこび すべてのすべてぞ われにとりて」はあなたの真の宣言でしょうか。