カギとなることばが「人の子」であるルカの福音書は、(直接的にはギリシャ人に)理想の人はイエス様であることをメッセージとして伝えています。
イエス様は偏見なく人々に寄り添ってくださいました。ある時 イエス様は取税人であるレビ(マタイ)に声をかけてくださいました。当時のユダヤ社会において取税人は犯罪者と同列におかれるような立場の人でした。しかしイエス様は、彼に自分に従ってくるようにと命令されたのです。(ルカ5:27-28)レビは、イエス様への感謝の表現としてであったと思われる宴会を催します。当時の政治家であり学者であるパリサイ人達はイエス様が取税人や罪人達と食卓につくことについて非難の思いを持ちました。(ルカ5:29-30)しかしイエス様は、自分は正しい人だと思っている「正しい人」を招くためではなく、神様の前に罪のある存在であることを認識している「罪人」を招くために来られたことを語られました。(ルカ5:31-32)レビもそのような罪人の一人でした。しかし彼もイエス様のアプローチと招きに応じて回心し、十二弟子の一人に、そして新約聖書の最初の書を記す人として選ばれたのです。
またあるパリサイ人に食事に招かれた際には、不道徳な女性として知られている者の接触を受け入れられました。(ルカ7:36-37)この女性は、涙でイエス様の足をぬらし始めました。この涙は自身の罪の自覚によるものであり、同時にそのような罪人である自分へのイエス様の愛とゆるしを認識したことによるものです。このような理由で泣く人はどれだけいるでしょうか。イエス様のみわざに対する彼女の応答は、高価な香油をささげることによってあらわされました。(ルカ7:38)批判的な思いを持ったパリサイ人シモンに対して、イエス様この女性の一連の行動の意味を説明されました。彼女は罪をゆるされた者であるから、イエス様に奉仕をしたのである、イエス様に愛された者であるから、(その応答として)愛を表現しているのであると。(ルカ7:39-50)
イエス様は今もなお罪人を招いておられ、罪人に寄り添ってくださるお方です。今もなお罪のゆるしと永遠のいのちを与えてくださるお方であり、人を新しい生活へと導き入れてくださるお方です。すでにこれを経験しているクリスチャンはこの素晴らしい祝福を今一度覚えようではありませんか。