程度の差こそあれ事態・状況の変化はそれをとりまく人々にとって衝撃・影響を与えるものです。事故・事件・災害、突然の死や病気、突然の退職など。一つの事によって局面が大きく変わり、ある場合にはその後の物事がストップしてしまうこともあるかもしれません。ステパノの殉教は当時のクリスチャンにとって少なからず衝撃を与えた事件であったはずです。この初代教会における大きな難局において、神様がどのように働かれ、またどのようにご自分のご計画を進めていかれたかを学びたいと思います。(使徒の働き8:1-8)
① ステパノ殉教の波紋:迫害の拡大 (1-3節) →サウロ(後のパウロ)はステパノの死について同意しました。当時少なくとも40歳以下であったと思われる彼はこの件に関する何らかの責任ある立場にあったことがうかがえます。ステパノが殉教したことによって迫害が激しくなり (a.)クリスチャンは散らされることになりました。ステパノの死をきっかけとして、クリスチャンに対する反対の流れが強まりました。「使徒たち以外の者」とありますから、迫害の主な対象はクリスチャンの中でもヘレニストたち(先祖がユダヤから離散し、ギリシャの文化・言語で育ったユダヤ人たちなど)であったようです。彼らはエルサレムから退去することを余儀なくされました。一方ペテロ、ヨハネといった使徒たちは、迫害の中でエルサレムに留まり、安定したリーダーシップを発揮しました。「敬虔な人たち」は (b.)悲しみの中でステパノを葬りました。彼らは教会内の人々ではなく、クリスチャンが語ることに好意的であったユダヤ人のようです。彼らの行動はステパノを殺したことへの抗議であると解釈することもできます。処刑された者について公に悲しみを表現することは不適切であるとされる当時の状況下で、同胞が行ったことに対する悲しみと共に神様への悔い改めを表現したのかもしれません。 (c.)サウロの暴挙は激しさを増しました。教会を荒らしてはクリスチャンを牢屋に送り込みました。これは彼の当時の“信仰”によるものでした。彼にとってこの行動は神の前に正しいことであるという強い信念に基づいていたのです。
②ステパノ殉教後の収穫 (4-8節) →エルサレムにいたクリスチャンが散らされ、教会が荒らされて、イエス様を信ずる人々が消滅してしまったのではありません。確かに、あるクリスチャンたちはユダヤやサマリヤへ散らされたのですが、(a.)散らされたクリスチャンによる伝道が展開されました。住み慣れたところを追われ、別の場所へ移ることを強制されることは決して嬉しいことでありません。しかし、彼らはステパノの殉教を受けて、不平を言うのでも、失望するのでも、無気力になるのでもなく、移った先々で神様のみことばを語りました。彼らが散らされたことにより、神様からの救いのメッセージが、エルサレムから、ユダヤ、サマリヤへと広がっていくというイエス様の約束実現へとつながっていったのです。散らされた一人である (b.)ピリポによっても伝道がなされました。彼は聖書に登場する最初の宣教師であり、また後に伝道者として紹介されている人です。彼はサマリヤの町へ行ってキリスト様を伝えました。サマリヤの人々は純粋なユダヤ人ではないとして軽蔑されていましたが、ピリポはすべての人に必要な福音を忠実に伝えたのでした。彼が神様からちからをいただいておこなった奇蹟は、彼の語ることが真実であることの確信を人々に与えました。(c.)ピリポの働きによって喜びがもたらされました。それは表面的な癒しによる、一時的なものではなく、人生を(永遠に)変える素晴らしい喜びのメッセージを受け取ったことによるものです。サマリヤという見下された町において、霊的に大きな変化が巻き起こったのです。
まとめ:私たちを通して行われる(宣教を含む)神のみわざは聖霊なる神様の御ちからによって前進する。 →ステパノはイエス様を見上げつつ生涯を終えましたが、残されたクリスチャンも同じ姿勢で難局に対応しました。その結果状況が彼らを飲み込んでしまうのではなく、状況を支配される神様への信仰を、彼らは乗り越えるちからとしたのです。人生における難局は避けられません。私たちは、不安になったり、心配したり、動けなくなってしまうものです。しかし、その先を知っておられる神様を信頼しようではありませんか。ステパノの殉教が、パウロの回心、そしてパウロによる大規模な異邦人伝道へとつながっていったように、神様が私たちの経験する難しい状況の中にも働いておられ、結果的に良いものを生み出してくださることに期待しようではありませんか。聖霊なる神様のちからは、神様のご計画を前進させ、また私たちの信仰生活を前進させます。神様に信頼するために、みことばの約束を黙想しましょう。神様がどんなに信頼に値するかを覚えつつ、私たちが出来ることに忠実であり続けましょう。