今年も今日で終わります。今年あなたはどれだけみことばを読み、学び、黙想したでしょうか。あなたの歩みにおいて、みことばはどのような位置を占めたでしょうか。今回の箇所で詩篇の筆者は、みことばについての告白をしています。今年を振り返り、あなたも同じような告白ができるでしょうか。
I. みことばは私の希望(49節)→詩篇の筆者は神様のみことばに訴えています。神様がことば通りに事を行われるようにと。(当然神様はご自分のことばに忠実であられますから)それゆえ、希望を持つことができます。(詩篇119:43, 74, 81, 147)
II. みことばは私の慰め(50節)→みことばの希望があるところに慰めがあります。歩みにおける様々な悩みの中にあって、みことばは私を霊的に活気づけます。(ヨブ6:10; 詩篇94:19; 119:52, 76; ローマ15:4; IIコリント1:3-5)
III. みことばは私の基準(51節)→傲慢な人は、神様のみことばに従う人を笑い者にするかもしれません。しかし、絶対的な基準を定めることがおできになる神様から離れない人には祝福があります。(ヨブ23:11; 詩篇44:18; 119:157; エレミヤ20:7)
IV. みことばは私の常識(52節)→永遠に変わることのない神様のみことばによって慰めを受けることができます。
V. みことばは私の宝(53節)→みことばを軽視することは、神様を軽視することです。みことばを尊ぶことは、神様を尊ぶことです。(詩篇119:61, 95, 110, 155; 147:6)
VI. みことばは私の歌(54節)→人生の旅路において、みことばを口ずさむことは、歩みを意味のあるもの、そして喜びに満ちたものとします。(詩篇1:2)
VII. みことばは私の原点(55節)→夜は自分の歩みを顧みる時間帯でもあります。みことばを与えてくださっている神様との関係を再確認することができます。みことばに従う決意をもって次の日(段階)に臨むことができます。(詩篇63:5-6; 119:62)
VIII. みことばは私の祝福(56節)→みことばは、それに従う者には慰めとなります。みことばを実践する者にはさらにみことばが与えられる祝福のサイクルへと導かれます。
まとめ:みことばは私の・・・ →みことばはあなたの何でしょうか。来る年、あなたはみことばをどのような位置に据えようとしているでしょうか。年は変わっても、あなたの霊的な食べ物であるみことばは不変です。みことばを与えられる神様も不変です。そしてみことばに関わる神様の約束も不変です。あなたがみことばに対して変えなければならないことは何でしょうか。来年に向けてのあなたの決意は何でしょうか。