新しい一年をみことばで始めることは幸いなことです。そしてみことばを土台として一年を過ごすことができるならばもっと幸いです。今回のメッセージが、あなたの心をよりみことばに向けさせ、みことばに満たされる歩み、みことばの祝福を経験する歩みを切望させるものとなれば幸いです。(詩篇119:65~72)
I. みことばを愛する
①みことばの真実を認める(65節): 神様のことばには神様のご性質があらわされています。神様は真実・忠実なお方です。神様はご自分が約束されたことを具体化し、実践されるお方です。神様はご自分のことばどおり、良い取り扱いを私たちにしてくださいます。恵み深いことをしてくださいます。この詩篇の筆者(詩人)は、自身が神様からどのようにあしらわれても仕方がないものであるという認識をもち、謙って、有言実行されるお方の恵みを覚えているのです。
②みことばを喜ぶ(70節):「高ぶる者ども」(69節)の心は神様のみことばに対して鈍感であり、みことばによって貫かれることがありません。しかし筆者はみことばを喜び楽しんでいます。みことばがどのようなものであるかを正しく認識しているからです。
③みことばの価値を認める(72節): 筆者にとってみことばは一番の宝です。金銀は奪われ失われることがあります。金銀は手元を離れていきます。しかしみことばは、それを愛する者の心にとどまるのです。金銀は危機的な状況で、死の床では役に立ちませんが、みことばの約束はちからとなります。みことば以上に必要なものはありません。
II. みことばを学ぶ
①信仰をもって学ぶ(66節): 筆者は神様を信じて神様の知恵を学ぶと宣言しています。私たちには良い判断(分別)と知識が必要です。それらを、謙って神様からいただき賢い歩みをしていく必要があります。
②ご性質を認めて学ぶ(68節):筆者はいつくしみ深い神様から学ぶと宣言しています。神様は一貫して良いお方であり良いことを行なわれます。(詩篇106:1; 107:1)筆者は神様に教えを乞うにあたり神様の良さ(善)に訴えているのです。‘あなたの素晴らしいご性質はあなたのみことばを学ぶ動機として十二分である’と告白しているのです。
③経験を通して学ぶ(71節):苦しみが幸せであるとは普通考えることができません。しかし苦しみを経験することでしか学ぶことができないこともあります。筆者は苦しみを通ることによってみことばを習得したのです。そしてそれは彼にとって良いこととなったのです。
III. みことばを実践する
①悔い改めて実践する(67節): みことばに従う前の筆者は罪におちいり、神様のもとから迷い出て苦しみの中にありました。しかし今はみことばに注意を払い、従い、行動しています。彼は‘再び過ちを繰り返さないためにみことばに従う’と宣言しているのです。
②困難の中で実践する(69節):「高ぶるものども」の攻撃が続く中で(51、61節)、筆者は正しい選択をしています。彼らは筆者を嘘で中傷し、彼に対して嘘をねつ造しています。それに対して‘私は潔白を証明しようと頑張ります’とは言いませんでした。彼は不当な取り扱いに、神様に従うことで対抗したのです
まとめ:みことばを愛し、学び、実践する者は主にあって幸いな道を歩む
クリスチャンであれば信仰生活におけるみことばの重要性は理解しているはずです。問題は、みことばについてどう取り組むかです。優先順位をどうするかです。どれだけ時間と労力を注ぐかです。これがあなたの信仰者としての一年を左右すると言っても過言ではありません。