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幼い子供でも、“愛”とは、自分にとっても、また人にとってよいものであることを知っています。神様はそのよいものを完璧なレベルであらわすことができるお方です。
父なる神様は御子イエス様を愛され(マタイ3:16-17)、御子イエス様も父なる神様を愛しておられます。(ヨハネ14:31) 神様は人類を愛しておられます。(ヨハネ3:16)またイスラエルの人々を愛しておられ(申命記7:6-8)、神の子とされたクリスチャンを愛しておられます。(ヨハネ14:21, 23)
愛は、様々な側面をもっていると言えます。善良さ、恵み、いつくしみ、慈愛、憐れみ、同情、親切、優しさ、忍耐。これらは愛の変形であり、互いに関連し合っているものです。
今回は神様の善良さが広くあらわされること(博愛)、また憐れみと忍耐としてあらわされることに焦点をあてます。
I. 神の愛は広くあらわされる
神様はご自分がお造りになった人々すべてに対していつくしみと憐れみをあらわしておられます。(詩篇145:9) 人々の状態に関係なく、日を照らし、雨を降らせ、良いものをお与えになります。(使徒14:17; マタイ5:45) 神様はご自分のたったひとりの息子をこの世界に送ることによって、すべての人が永遠の幸せを手にできるようにと愛を示されたのです。(ヨハネ3:16)
II. 神の愛は憐れみとしてあらわされる
憐れみは、苦しみの中にある人に対して示される神の慈愛であり、同情であり、情けと言えるでしょう。
神様は(自ら不幸な道を選んだ)イスラエルの人々を憐れまれました。(詩篇102:13; ルカ1:72) 神様は憐れみ深いお方です。(エペソ2:4; ヤコブ5:11) その憐れみは神様を畏れ敬う者にもたらされます。(ルカ1:50) 私たち(異邦人)も神様の憐れみの対象となり、救いをいただいたのです。(ローマ11:30-31; テトス3:5) そして神様は、他の人々もご自分のもとに帰るようにと招いておられるのです。(イザヤ55:7)
III. 神の愛は忍耐としてあらわされる
愛の神様は、忍耐してくださり、寛容でいてくださいます。ノアの時代に神様は、世界に悪がはびこり、さばくことをお決めになり、ノアの家族に箱舟を作ることを命令されてから、百年以上も人々の悔い改めの猶予をお与えになりました。(Iペテロ3:20) 今も神様は、誰一人死んで地獄に行くことをお望みにならず、態度を改め、イエス様を信じるようにと忍耐をもって待っておられるのです。(IIペテロ3:9) それゆえ私たちは、神様の忍耐を、人々の救いのチャンスととらえ、人々に神様からの良い知らせを伝えていく必要があるのです。(IIペテロ3:15)
まとめ: 神の善良、憐れみ、忍耐を覚えよ
神様はこの世界を愛し、その愛に応答した私たちとの愛の交流を実現されました。世界には、神が愛しておられても、残念ながらそれを受け取らない、受け取れない人が多くいます。そのような中で、私たちクリスチャンは、神様が良いお方であること、憐れみ深いお方であること、忍耐強いお方であることの具体的な祝福に与っているのです。そうであるからこそ、これらの神様のご性質がどんなに素晴らしいものであるかをもっと知り、感謝し、味わい、喜ぶ者でありたいと思います。良いお方であり、良いことを行われる神様を賛美しましょう。
エペソ(詩篇119:68)