先日の「母の日」に、教会では「レディース祝福デー礼拝」を開催した。初めての試みだった。「女の子・女性の存在を主に在って感謝する」という趣旨であり、礼拝メッセージもその趣旨に沿ったものを準備した。(つもり)このような礼拝でのメッセージを語るのは初めてのことで、何をどう語ればよいのか、よくわからなかった。聖書には女性のことは多く登場する。いろいろ思い巡らしていく中で、(イエス様の母となった)マリアに行き着いた。しかし、マリアのことを取り上げてこのテーマで語ると言っても、ある宗教がしているように、誤ったかたちで彼女を礼賛することになってはいけない。あくまでも一人のクリスチャン女性として、尊ぶべきこと、見習うべきこと、そして何よりも神様が彼女をどう取り扱われ、祝福されたかに焦点が置かれなければならない。それがメッセージの中で達成されたのかはわからない。(そう望むけれども)今回の準備段階でのチャレンジは、自分が男性として、女性について語るということ。私がマリアについて、一人の男性としての視点・考えを語るとするなら意味がない。メッセージを聴く女性たちが、「男性の考えを押し付けられている」というような思いをもつことになってもいけない。とはいっても、私が男性という性別を脇において語ることはできない。そのようなことをあれこれ考えてメッセージに臨んだ。神様の御心がなされたことを願う。次は、「メンズ祝福デー礼拝」が開催される。今度は、男性として男性について語るのであるからいくらかスムーズにできるのではないかと思っている。(でもどうかな)