信仰の知的要素

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聖書の中で使われている信仰(the faith)ということばには、聖書の教え全体を信じていることを意味するものがあります。(ルカ18:8; 使徒6:7; Iテモテ4:1; 6:10; ユダ3)旧約聖書には、“信頼”が150回以上登場しますが、このことばは新約聖書の“信仰”、或いは“信じる”に相当し、“身を寄せる”(ルツ2:12)や、“寄り頼む”(詩篇56:3)がそれにあたります。
回心を説明する場合における信仰とは、(悔い改めが罪に背を向けることであるように)人が神様の方に向きを変えることを言います。聖書が説明する信仰は、(神様のお働きの中で)人間が行うものであり、知性・感情・意志を含みます。今回は信仰の知的(知性における)要素について学びましょう。

I. 信仰の知的要素とは
信仰の知的要素とは、人は、知ることで信じることができるということです。先ず明確に理解する必要があるのは、人の救いには知的要素が含まれますし、それは必須ではありますが、これだけでは救われないということです。
夜 イエス様のもとにやってきた時のニコデモは、イエス様が、偉大な人物・すばらしい教師・秀でた模範と認めてはいました。ある意味において彼はイエス様を知って(信じて)いたのです。(ヨハネ3:2)ヤコブ書には、悪魔(悪霊)が“正統派の信仰”を持っていることを教えています。(ヤコブ2:19)しかし悪魔は救われてはいません。人の場合も同じです。頭で同意していても、献身が伴わず、生活の変化もない人には“表面的な信仰”しかないのです。神の存在を信じることは、重要ではありますがそれだけでは、人が救われるには不十分です。真の信仰においては、霊・たましい・体を委ねることが伴います。魔術を行っていたシモンも、信仰告白をしましたが、真の信仰をもってはいませんでした。
(使徒8:13)
“信じる”には2つの意味があると言えます。一つは信仰の第一段階にある人の“信じる”です。これは一時的な感銘(感情)にすぎない場合を言います。もう一つは完全な確信です。この“信じる”に到達してこそ、“知ること”が意味のあるものとなります。

II. 知的要素に含まれるものとは
自然における神の啓示(たとえば広大な宇宙の存在によって示されていること)・聖書の歴史的事実・人間の罪深さ・イエス様のみわざ・救いの条件・クリスチャンへの約束、などが含まれます。救いに至る人はこれらの聖書の教理を信じるのです。
聖書のことばを知ることにより信じる(ローマ10:17):聖書から真実を知ることで、信仰のプロセスが始まります。みことばに基づいてイエス様について語られると、聞く人の心に信仰が生じます。人が、心を開いて快く聞くならば知ることができるようになります。みことばが真理であり、真理そのものがその信憑性を証明していることを知るのです。
神の存在を知るゆえ、神の存在を信じる(ローマ1:19-20):人は被造物を見て、創造主の存在を知り、そのお方の存在を信じます。神様の永遠の力と神性は神様の2つの特質です。ここでの「神性」は特に神様ゆえのご性質である、忠実さや恵み深さなどを言います。神様の存在を知ると、人は創造主の存在ゆえ、設計者ゆえ、ものが存在していることを認めるのです。そこに神様の力・知性・秩序・美が示されていることを認めるのです。
では、“聖書のことばを一度も聞いたことがない人はどうなるのか”と尋ねる方がいるかもしれません。その人が結果的にイエス様に対する信仰をもたなかった、つまり救われなかったのは、救い主であられるイエス様を拒んだからというよりも、その人が神様を知ることができるのに、そうしなかったからということになります。人は本能的に宗教心をもっており、(自分より偉大な)何かを拝もうとするものです。その意味において“神を知って”いても信じようとしないならば、偶像礼拝や欲望のままに生きる生き方にならざるをえないのです。
(ローマ1:21-27)
福音を知ることにより信じる(ローマ10:14):聖書のことばとイエス様が肉体をとってあらわれてくださったことにより、神様の愛・赦し・永遠のいのち等が示されました。これらを知る(聞く)ことにより人は信じることができます。イエス様が誰で、何をされたかが伝えられ、それを受け入れ(信じ)、このお方のお名前を呼び求めるようになるのです。

まとめ:真実を知ることは信仰の第一歩
人は、“知る”ということがなければ信じるところに進むことができません。私たちが救いという点において、知り、そして信じる必要があるのは主に2つのことです。(それはイエス様がお生まれになった日に羊飼いたちに届けられたメッセージに見ることができます。)イエス様が誰なのか、そしてこのお方は何をされたのかということです。イエス様が神様であり、このお方が罪のある人間のために救われる方法を用意されたということです。聖書に示されている真実を知ることは、必ずしもそのすべてを理解することを意味しません。ある事柄については信じることで分かるようになり、本当の意味で知ることもあります。いずれにしても、私たちが真実を知ることができるのは、そして信じることができるのは、神様がそうさせてくださるからなのです。

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