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クリスチャンの聖さには二つの面があります。①立場において聖い、ということと、②より聖い歩みを追求する、というものです。言い換えれば、聖化は、①一つの行為(起こること)であるとともに、②過程であるということです。今回はこの2点を掘り下げて考えたいと思います。
聖い立場(地位的聖化): 人は、イエス様を信じる瞬間にきよめられます。これは神様が一方的に行ってくださるものであり、クリスチャンは霊的成長の度合いに関係なく「聖徒」と呼ばれるのです。
聖徒とは、神様が救われた人にされる取り扱いによって与えられる立場です。(Iコリント1:2)人が、聖くなったから、召されたのではなく、聖い者として受け入れられているのです。神様がご自分の者とするために、この世から区別し、イエス様に属する立場を授けたのです。
これは立場であって、クリスチャン自身がどのような者であるかを説明はしていません。(エペソ1:1)
クリスチャンは「聖徒たち」であり、「兄弟たち」です。(コロサイ1:2)クリスチャンは同じお方を父とする子供たちなのです。
クリスチャンには、完全な聖がまだ確立してはいませんが、新しい傾向と方向性を得たのです。(Iコリント6:11)
聖霊なる神様は、個々を世から神様へと区別し、罪を自覚させ、イエス様へと向かわせるのです。(IIテサロニケ2:13)
聖化の過程(段階的聖化): イエス様を信じた人は、きよめられていきます。(少なくともその可能性を得ました。)
かつて肉的であった人が、汚れを取り除かれるだけでなく、聖さにおいて成長を促され、イエス様に似た者へとされていくのです。
(Iコリント3:1-3; IIコリント7:1)
信じた時に聖徒の立場を得ましたが、不完全です。(エペソ4:12)クリスチャンはみことばによって、罪を犯すところから、神様に従うところへと変えられていくのです。そのために教会では、(特に)賜物を与えられた人がクリスチャンを整えていくのです。それは教会における奉仕に携わっていくためです。一人一人を、責任をもって自ら働く人へと導いていくのです。このことにより、イエス様の教会は建て上げられていくのです。
使徒パウロは、聖徒は聖徒らしくあらねばならないと教えています。(エペソ5:3)クリスチャンは、世の腐敗と堕落から分離されているのですから、言動において聖さを追求しなければなりません。人が救われる前は、世の者であることをその歩みで立証していましたが、救われた後は、聖徒(神の者)であることを歩みで立証するべきなのです。
私たちの存在の(霊・魂・体の)あらゆる部分に聖めが及ぶようにというのがパウロの祈りです。(Iテサロニケ5:23)
まとめ:不完全な者であることの自覚は、聖さの充実へと聖徒を導く
聖さを評価するのは神様です。そのお方の前にあって、クリスチャンは聖さを追求する者でなければなりません。その歩みを神様は喜んでくださいます。(Iテサロニケ4:3-7)聖さを実現するための、みことばに対する謙虚さと受け入れる柔軟さをもって歩もうではありませんか。