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今回はクリスチャンに与えられている救いの性質について考えます。聖書は、救われた人は確実に終わりまで保たれると教えています。これは、“自称クリスチャン”が皆救われているという意味ではありません。“教会で奉仕する人”が皆救われているという意味でもありません。クリスチャンは霊的に後退したり罪に陥ったりすることがまったくないという意味でもありません。これが意味するところは、救いの生きた体験をした人は、救いから脱落することは決してないということです。この教えが正しいと言える一つの理由は、神様が御心と約束を必ず果たされる方であることです。
救われた者に対する神様の目的(ローマ8:29-30): 神様の知識には、必ず果たされる計画が含まれています。やがて信じるであろう人を前もって知っておられただけでなく、悔い改めて信じることを保証しておられたという意味です。この保証の中には、罪からの完全な解放、イエス様に道徳的に似ること、そして栄光のからだを持つことが含まれています。これが、神様が選ばれた者への計画です。神様はご自分の永遠のご計画の中で人を召されます。召された人は福音を聞き、その呼びかけに応じ信じます。呼びかけに応じた人は義と認められます。義と認められた人には栄化の約束が与えられます。この箇所は、クリスチャンが永遠に安全であることを強調しているのです。
神様の目的を何ものも決して邪魔することはできない(ローマ8:35,38-39): ここでパウロが語っていることは、概念ではなく自身の経験からのものです。キリスト様の愛はより明確にクリスチャンの救いにおいてあらわされました。それゆえここで述べられている愛は救いと同義語で理解できます。人生において経験することは、人を痛めつけ破壊するようなものもあるでしょうが、どのようなものもキリスト様の愛から、つまり神様が与えた救いから引き離すことは不可能です。
イエス様の宣言(ヨハネ10:28-29): この箇所で、救いは永遠のいのちとして表現されています。それは永続するいのちであるだけでなく、究極の質を兼ね備えたいのちです。イエス様のいのちに与ることであり、天の御国に相応しいものです。またこの救いは滅びの可能性を否定します。羊飼いであられるイエス様は、ご自分の羊を一匹たりとも地獄に向かわせません。クリスチャンには、みじんも滅びる可能性がないのです。さらにこの救いは、神様の全能の御手による保護を含んでいます。
クリスチャンが今信仰者として生きるのは、救われるためでもなく、救いを保つためでもありません。救いを実現してくださった神様の素晴らしさをあらわし、感謝を示すために生きるのです。
まとめ:救われた人は神様の忠実さゆえに永遠に確実に保たれる
イエス様を信じるとは、神様の約束を信じることです。神様は、救いは永遠であると言われるのでそれを信じるのです。(Iペテロ1:5; ピリピ1:6; IIテモテ1:12)信じる人には確信が与えられます。確信が与えられると、平安と喜びが与えられ、感謝をもって神様にお仕えする人になります。クリスチャンに与えられている救いは、まったく神様の恵み(みわざ)によるものです。世の中のほとんどの人は“、(天国へ行くことができることを含めて)救いは人の行いによると信じています。それは、自分の運命を支配したい、またできると考える人の目に正しいと映るからです。同時に、人は自身の罪深さと神様の聖さや義を理解していないため、そのように信じるのです。クリスチャンは不確実であてにならない自分を認め、謙虚になって神様からの確かな永遠の救いをいただいているのです。