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聖書のみことばはクリスチャンの歩みにおいて欠くことのできないものです。個人で聖書を読み学ぶ時、また教会においてメッセージを伺う時の態度はどのようなものでしょうか。みことばは神のことばです。それゆえ厳かな態度で読むことが求められます。すべてを超越する神のことばがそこにはあり、そのみことばは、クリスチャンの歩みを整える実践的な導きを与えるのです。みことばの偉大さについて学びましょう。
みことばは愛を生み出す(22節):二つの命令(13、17節)の後で新たな命令が与えられています。クリスチャンが互いに愛し合うことです。前段落は、神様との関係における命令ですが、この段落ではクリスチャン(人)との関係における命令です。ここで言われている心からの愛は命令であり、(気持ちではなく)選択によってあらわされるものです。“限界と思われる程度にまで手を伸ばす”ようなレベルの愛が命令されています。この類の愛は、救われた者だけが示すことができます。イエス様を信じることは神様への従順の行為です。本当の信仰とは、従う信仰です。その従順を聖霊なる神様は可能にしてくださいました。クリスチャンが互いに偽りのない愛を示すことは、新しく生まれた目的の一つでもあります。救われたので愛し合うことができるのです。(迫害とまでいかなくても)困難な状況にある時にこそ互いの兄弟愛が必要となるのです。真理(みことば)に従う人は救い(たましいのきよめ)を経験し、兄弟愛を実践することができるのです。
みことばは人を新しくする(23節):クリスチャンは「朽ちない種」から誕生しました。それは聖霊なる神様による霊的いのちの“植え付け”がされたということです。神様がされることには、失敗がなく、いつまでも継続します。クリスチャンは、朽ちることのない資産(4節)と贖い(18-19節)に加えてみことばをいただいているのです。聖霊なる神様はみことばを用い、いのちを生み出してくださいます。みことばは人に対して自身の罪を自覚させます。またイエス様が唯一の救い主であることを受け入れさせ、信じさせ、確信させるのです。みことばは人を回心させ神様に立ち返らせるちからがあるのです。
みことばは永遠に立つ(23節後半~25節):ペテロは、イザヤ書40:6-8を引用し、人の存在の有限性と神様のことばの永遠性を対比させています。人はみことばにより、神様の前にあって価値のある者として永遠に生かされます。みことばの真実は不変です。新生したクリスチャンは永遠に変わることのないみことばの性質を帯びる者として歩み始めたのです。
まとめ:みことばは厳かで実用的
みことばは尊いものであり丁重に取り扱わなければなりませんが、頭の中にしまっておくだけのものではありません。学び教えられたことは、日々の生活の中で実践されなければなりません。多くの命令が与えられているのはそのためです。みことばを実践する祝福をもっと経験しましょう。そのために聖霊なる神様に頼りつつ従いましょう。神様の愛を覚え、その愛により救われたことを覚え、その愛にならう者となりましょう。神様からの同じ愛を受け取った兄姉に対して、“手を目一杯”伸ばし、愛をあらわす者となりましょう。