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1~2万種類あると言われる病気ですが、病気になると様々な負担や必要が発生します。そのため病気は通常、負のものとして認識されています。今回の箇所に登場する中風の人も、弱さを抱え、全面的に他者に依存する生活を送っていました。中風という病気は、現在では「脳卒中」と呼ばれることが多く、これは脳に突然起こるトラブルです。原因としては、脳の血管が「つまって」しまう脳梗塞と、脳の血管が「やぶれて」しまう脳出血とに分けられます。どちらも、脳に血がいかなくなってしまうため、脳の一部がダメージを受けることになります。中風になると、体の半分が動かせなくなったり、うまく話せなくなったりします。
イエス様が地上でお働きになっていた当時、多くのユダヤ人は、すべての病気は、本人の罪の直接の結果であると信じていました。この中風の人もそのように信じる人であったかもしれません。この人がイエス様の奇蹟によって癒される記事から病気と信仰について考えます。
*病いの原因は何でしょうか?
①広い意味においてそれは人の罪:罪がこの世界に侵入する前のエデンの園には、病いは存在しませんでした。人が神様に逆らい、罪がこの世界に入った時、人の体は病気になりうるもの(死に向かって生きるもの)へと変化したのです。すべての病いが罪の直接的結果とは言えませんが、罪はすべての人間に負の影響を与えており、病いはその一部ということになります。それゆえ、罪を犯したから病いになる、というよりも、罪人だから病いになる可能性を抱えて生きていると言うべきでしょう。
②個々においてその原因は様々:各人が置かれている肉体的状況は異なります。一人ひとりが抱える病いが、遺伝的なものもあれば、生活習慣/環境によるものもあるでしょう。場合によっては、罪の行為による直接的な結果のものもあるでしょう。明確なことは、人は皆生涯において病いと関りをもたなければならないということです。
*病いの目的(意味)は何でしょうか?
病いに限らず、人は自分の好まない経験をするときに、“なぜ私がこんな目に”と問いかけ、あらゆる負の出来事に答えを求めるものです。イエス様を信じているクリスチャンは、神様に目的を見出すことができます。すべてがわからなくても全てをご支配されるお方を信じることができるのです。
①神には目的がある:痛く、苦しく、不自由な状況に置かれる時、人は目的(意味)を見出すことが困難ですが、神様には常に目的があります。(ヨハネ9:2)
②神には良い意図がある:病いは人にとって負の出来事かもしれませんが、それをお許しになる神様には(病気を経験することで与えようとしておられる)肯定的な祝福があります。(詩篇119:71)病いを通して、神様は人をご自分に近づかせてくださいます。病気になったことでイエス様を信じる人がいます。病いを通して、神様は必要なことを教えてくださり、学ばせてくださいます。病い自体が恵みの経験となるのです。
*病いの解決はあるのでしょうか?
病いに関する究極の解決は現世にはありません。クリスチャンであってもなくても死に向かって歩んでいることに変わりはなく、その過程で病気を経験する可能性を抱えています。神様は今の時代においても(新約聖書に載っているような)奇蹟を行うことができますが、そうされるかどうかは神様がお決めになることです。神様は今の時代においても、祈りを聞かれ、通常不治とされる病いを癒されることもあるでしょう。クリスチャンになったからといって病いがすべて治るわけではありませんが、クリスチャンが天の御国に移されるとき、病いから完全に解放されます。今しばらく肉体的弱さゆえに苦しみを経験するのですが、やがて全く新しく完全な体に変えられる(栄化の)約束が与えられています。(ローマ8:23; ピリピ3:20~21; Iコリント15:42,52~53)その時を待っている間は、神様から与えられた体を可能な限り健康に保つように務めるべきです。病いになる時には、神様の目的と良い意図に目を向けるべきです。わからないことがあっても、すべてを御存知の神様に委ねることです。そして神様に祈りつつ、栄化の約束を確信しつつ、病いと向き合うことです。
まとめ:信仰は病いを受け入れ乗り超えさせる
永遠の視点からすると、(究極的には)イエス様を信じたら病気は治ります。しかしその経験ができない今の状況においては、信仰者としての祝福のため、成長のために神様が与えておられることを覚えたいと思います。
病気の時は、より神様に頼るようになるでしょう。病気の時は、より神様の前に、人の前にへりくだることができるようになるでしょう。病気の時は、より病気の人を理解し寄り添うことができるでしょう。病気の時は、より病気の人を励ますことができるでしょう。病気の時は、より健康であることを感謝するでしょう。病気の時は、より天国へ行くことの幸いを覚えるでしょう。信仰者は病いの中にあっても、神様が共におられることを経験できるのです。そしてまもなく、今の痛み・苦しみ・不自由さから解放されることを確信できるのです。信仰者は、病い以上のもの(死、そしてその原因である罪)を解決してくださったお方を知っています。そのお方による救いをいただいている者として、期限付きの苦しみの中にあって、神様から肯定的な心をいただいて生きることができるのです。
誰も病いを歓迎しません。しかしイエス様に信頼する人は、病いの背後にある神様の御心に目を向けることができます。信仰者は、好まない病いの中にあっても、神様の恵みのお取り扱いと認識できるのです。これは単なるプラス思考ではなく、永遠の幸いを約束された者だけが持つことができる感覚であり現実です。


