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マタイの福音書1章の後半では、イエス様誕生に関するヨセフへの告知の経緯を記しています。その中でイザヤの預言が引用されています。お生まれになるお方は「インマヌエルと呼ばれる」と記され(マタイ1:23)、「神が私たちとともにおられる」という意味であることが追記されています。神様は、ご自分に似せてお造りになった人間と共にいることを望まれました。今回は、インマヌエルなるお方がおられることの意味について学びたいと思います。
*それは神の約束のメッセージ
神様は真実なお方ですから、約束を必ず守ってくださいます。神様が“実行する”と仰ることは確実に行われるのです。神様が、“私たちとともにいる”と言われるならその通りなのです。
*それは神の個人的なメッセージ
神様はモーセからリーダーの役目を受け継ぐヨシュアに対して、“ともにいる”のは、「あなたの神、主」(ヨシュア1:9)であることを告げられました。イザヤ41:10でも、イスラエルに対して同じことが言われています。(イザヤ43:1~6)
*それは神の力強さ/保護のメッセージ
神様が共におられるので、私たちは(神様にあって)強くあることができ、安心していることができるのです。神様はベエル・シェバにいたイサクに、「恐れてはならない」(創世記26:24)と命令され、ご自身の臨在を約束されました。ともにおられることの事実は、人の恐れる理由を消滅させるのです。この命令は、多くの箇所で“ともにおられる”こととセットで与えられています。神様はラバンのもとへ向かうヤコブにも同様の約束を与えておられます。(創世記28:15)モーセはともにおられる神様の導き(力強さと保護)について伝え、ヨシュアとイスラエルの民を励まします。(申命記31:6~8)エリシャも恐れる召使いに対して、ともにおられるお方の圧倒的強さを伝えています。(II列王6:16)ともにおられる神様は、私たちの「砦」(詩篇 46:7, 11)であられ、どのような状況にあっても、私たちを強め、助け、守ってくださるお方です。(イザヤ41:10; 43:2)
*それは神の誠実さのメッセージ
神様の、イサクに対する約束(創世記26:24)は、アブラハムとの間で交わされた契約が根拠となっています。(創世記26:3b~5)神様が約束を忘れ、結果的に見捨てるようなことはされないということです。神様がご自分の約束に対して誠実であられることを、ヤコブやヨシュア、そしてイスラエルの民に対しても明確にしておられます。(創世記28:15; 申命記 31:6~8; ヨシュア1:5~6)
*それは神の励まし/慰めのメッセージ
神様は、モーセをエジプトのファラオのもとへ遣わす時に励ましてくださいました。(出エジプト記3:12)ギデオンを召す時にも同様です。(士師記6:12,16)神殿を立て直す際にも、神様は預言者ハガイを通して、ご自分の臨在を民やリーダーたちに約束されました。それは彼らが務めを果していく上で、なくてはならない大きな力となったのです。(ハガイ1:13~14)神様がともにおられる事実は、信仰者にとって大きな励ましであり慰めです。(詩篇23:4)
まとめ:インマヌエルの臨在は神からの贈り物
私たちは、神様とともにいることを自らやめ、失われた存在となった罪人ですが、再び神様の臨在の祝福を経験できる者とされました。新約聖書においても、インマヌエルなるお方の約束と励ましは継続されています。(使徒18:9~10; ヘブル 13:5)イエス様を信じた人の内には聖霊なる神様が助け主として住んでいてくださいます。(ヨハネ14:16~18; Iヨハネ4:4)イエス様はクリスチャンの交わり・祈りの中におられ(マタイ18:20)、「世の終わりまで」(マタイ28:20)ともにいると約束してくださっています。やがてクリスチャンは天の御国に移され、神様と永遠にわたってともに住むのです。(黙示録21:3)
様々なことで恐れてしまう、臆病で弱い私たちに与えられている祝福の現実を覚えたいと思います。この一年、神様は確かに私たちにとってインマヌエルなるお方でいてくださいました。(そのように感じない時にもです)インマヌエルなる神様との永遠の契約に入っている私たちには、すべきことがあります。それは神様とともにいることを選ぶことです。しっかりと“神様と手をつないでいる”ことです。神様がともにおられることの祝福、安心、喜び、勝利を選び取ることです。天の御国に移されるまでともに居続け、導き続けてくださるお方に頼り従い続けることです。
(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)


