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イエス様にある、永遠の結びつきの証拠として、すでに神様との平和について学びました。今回は、恵みにおける立場や栄光の望みについて学んでいきますが、「導き入れられました」という表現に注目したいと思います。聖書から救いが語られる時、それは人と神様との関係を説明することになります。神様との平和も、神様との関係の一部であり、平和が存在するところに交流が発生することはすでに学んだ通りです。今回は、神様の前に義と認められたクリスチャンが経験している祝福の一つとして、神様への道を得たこと、神様との接点が可能となったことに焦点を当てたいと思います。クリスチャンは義認ゆえに、神様とのつながりの現実が与えられているのです。
*神とのつながりを得た者の恵みの立場(2節前半)
1節で、神様との平和はイエス様の仲介によって実現したことを学びましたが、今度はイエス様によって私たちクリスチャンがどのような立場にあるかを説明します。2節の前半を直訳すると以下のようになります。“この方(イエス様)によって、(また)私たちは信仰により、私たちが立っているイエス様の恵みに近づくことができる方法(アクセス)を持っている”。これを私たちはすでに受け取り、所有しているのです。これについてもイエス様の仲介なしには語ることができません。(ヨハネ10:7,9; 14:6; エペソ2:18; 3:12; Iペテロ3:18)これは旧約の時代では考えられなかったことです。(出エジプト19:20~21)今クリスチャンは、神様の恵みの中に“浸かっている(浴している)”のです。そしてそれは固定化された確かな身分なのです。クリスチャンには、神様と和解させていただいた立場(10節)、神様が味方なので無敵である立場(8:31)、すべての必要を恵んでいただける立場(8:32)、イエス様にとりなしていただける立場(8:34)が与えられているのです。この恵みの“所有”は、神様の栄光を分かち合う希望の根拠でもあり、それを予期して喜ぶことができるのです。
*神とのつながりを得た者の栄光の望み(2節後半)
「望み」に“不確か”なものは含まれません。確かでありますが、未だ実現していないということです。クリスチャンの究極の“終着点”は、神様の栄光そのものの中で分かちあわれるものです。(栄化はその一つです) イエス様が保証されるゆえ、この望みは実現するのです。(コロサイ1:27; Iテモテ1:1)神様のことば、つまり明確で確かな約束が、クリスチャンの希望の土台なのです。(15:4; 詩篇119:81)クリスチャンはこの希望を喜びとし誇りとしています。これは神様から与えられる、勝ち誇った喜びに満ちた確信です。神様の栄光の望みにおいて喜んでいる、勝って得意げに歓喜しているのです。
*神とのつながりを得た者の喜び(3~5節前半)
神様との健全な関係を持ったクリスチャンは、常識を超えたかたちでの喜びを体験するとパウロは述べています。「苦難」とは(普通ではない)圧力に使用される言葉です。イエス様に対する信仰と従順ゆえに経験する、避けられない苦しみの現実があります。神様との平和実現は、必ずしも人との平和をもたらすものではないということです。(Iペテロ4:19)しかし神様に受け入れられ、常に恵みが注がれ、将来の栄光を予期することができる人は、試練の中で喜びを経験できます。救い主への愛と忠実さを示した使徒たちが経験したように。(使徒5:41)信仰の歩みにおける、これらの困難は霊的益を生み出します。霊的成長のためには“鍛えられる”必要がありますが、それには苦しみが伴います。しかしその苦しみが、大きな負荷・圧力の下で屈することなくとどまり続ける能力を鍛えます。(IIテサロニケ1:4; ヤコブ1:2~3)
忍耐が与えられると、今度は、その経験を通して(試練/試験の結果)実証された人格(品性) が整えられていきます。クリスチャンとしての(良い)性質が証明されるのです。(ヨブ23:10)クリスチャンは困難がもたらす品性ゆえに、苦難に喜びを見出すのです。(Iペテロ1:7; ヤコブ1:12)
イエス様の目には、新たに生まれたクリスチャンは尊い存在です。しかし、試練/試験を通った聖徒はさらに尊い存在です。神様の福音には人の品性を磨くちからがあることがあらわされるからです。信仰者の霊的前進と成長は神様の前に尊いのです。
そして品性の先には希望があります。希望とは、試練の中で将来に目を向け、神様の約束に対し忠実に信頼する者が持つものです。そこに失望はありません。期待・信頼・誇りが打ち砕かれ、顔向けできなくなるというようなことは決して起こらないのです。(9:33)この希望を喜びとできる理由は(次回以降に学びますが)①神の愛に示されるおどろくばかりの恵み(5節後半~8節)と、②神の怒りからの確かな救い(9~10節)にあります。
まとめ:義と認められたクリスチャンは神様とつながり続けることができる
人同士のつながりが希薄になり、またつながることに疲れてしまっている人が多い現代ではありますが、人として一番大事なつながりは、まことの神様とのものです。神様との健全な関係は救いから始まり、霊的成長の中で豊かなものとなっていきます。神様は私たちとつながりたいと思っておられ、つながる結果の祝福をもたらそうとしておられます。神様とつながり、霊的ライフラインをもっている人は、本当に人間らしく、生き生きと、確信をもって歩むことができます。それは、霊的健康を保持して歩むためのエネルギーを常に供給してくださる神様を知っている者の特権です。


