私は聖書の神を信じる④:無限の神ー全能②

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神の全能とは、神様がご自分の性質にかなうすべてのことを行うちからを持っておられると言う意味です。ここで「ご自分の性質にかなうすべてのこと」を神の全能の範囲と考えて、全能の意味を認識しなければなりません。つまり、神の全能には「制限」があるということです。一つは、神様のご性質ゆえのもの、もう一つは、神様自ら課されたものです。神様は、ご自分の性質に反することはなさいません。これには、偽ること(テトス1:2)、誘惑すること(ヤコブ1:13)、そしてご自分を否定すること(IIテモテ2:13)が含まれます。また、神様は、ご性質に反しないことでも、ご計画の中でお選びにならないこともあります。たとえば、御子イエス様が十字架で死なれる時には救出されませんでした。これは神の目的にしたがって悪をゆるされた一つの例です。
これらの、神の全能の「制限」を念頭に置きつつ、今回は創造と新創造において神様があらわしておられる全能について学びたいと思います。

I. 創造における神の全能
ことばによる創造(詩篇33:6,9):(人間を除いて)すべてのものは神様のことばによって造られました。神様のことばには、無から有を生み出す創造のちからがあるのです。神様はすべてのものをお造りになり、最後に人間を創造されました。(イザヤ45:12; 詩篇139:13-16)
被造物の保持(ヨブ38:8-11; 詩篇33:7; 箴言8:29):神様はこの宇宙を創造されただけではなく、すべてを管理し支配しておられます。すべてのものの存在を可能とされたお方は、それらを保たれ、ことばにより目的を果たされます。(へブル1:3) 生命の存在と存続のために継続的にバランスを保っておられるのです。(コロサイ1:17)
出エジプトにおいて(詩篇114篇):詩篇の12~14篇にはイスラエルの民がエジプトから解放されることについて書かれています。神様は、雲の柱と火の柱として民の中に住まわれました。(2節) 民はエジプトからの脱出直後に紅海を渡り、神様が民に約束された土地に入る直前にはヨルダン川を渡る奇蹟の経験を与えられました。(v.3) シナイ山で神様が激しいかたちであらわれてくださったことについて、山や小山が「跳ね回った」と表現されています。(4節) 神様の、海や川、そして山々への問いかけは、神様の偉大なちからと御意志があらわされています。(5-6節) 全能の神様の前になすすべのない自然の唯一の応答は、慄き(おののき)のみです。(7節) このお方は硬い岩さえも泉に変えることができるお方です。(8節)

II. 新創造における神の全能
罪のために堕落し、死と滅びが確定した人間のために神様が準備された救済計画が新しい創造です。(IIコリント5:17)
イエス様の受肉:神の御子であられるイエス・キリスト様は人の救いのために、人となられました。人の誕生も神様のちからによるものですが、イエス様の誕生は特別なものです。イエス様は人の通常の結婚関係によらない方法で、そして罪の性質を受け継がないかたちでお生まれになりました。(ルカ1:35,37; マタイ1:20)
イエス様のご生涯における奇蹟:イエス様は、ご自分が神であられることのしるしとして数々の奇蹟を行われました。嵐を静めたり、多くの人々に食事を提供したり、死んだ人を生き返らせたりされました。(マルコ4:37-41; 5:35-43; 6:30-44; ヨハネ11:38-44)
イエス様の死:イエス様が十字架刑によって死なれたことは、イエス様の無力さをあらわすわけでも、有限であることを示すわけでもありません。何でもおできになる父なる神様に自らをお委ねし、従われたイエス様は、死をもって父なる神様の御心を行われました。(マルコ14:35-36) ご自分の死によって、死のちからを持つ悪魔を滅ぼし、罪人のあがないを実現されたのです。(ヘブル2:14-15) その死、そして流された血潮は、罪人に対する救いを可能としたのです。(ヘブル9:12; Iペテロ1:9)罪人を死と滅び(さばき)から解放し、神様からの祝福に与る権利を回復したのです。(エペソ1:7) その血は、人を、神様を礼拝する者(仕える者)へと変えたのです。(ヘブル9:14)
イエス様の復活:イエス様は死なれただけではなく、(予告通り)よみがえられました。(ヨハネ2:19)その事実はイエス様が全能の神であられることを示しています。イエス様がおよみがえりになったことは、このお方が信じる者たちをよみがえらせることがおできになることを意味します。(Iコリント15:20-22; 6:14)

まとめ: 人を造られた全能の神は、罪人を新しく造り変えることができる
私たちは、不可能なことが何一つない神様との個人的な関係が与えられていることを感謝します。聖書を信じ、聖書の神様を信じる人は、自分の立場をわきまえている賢い人です。なぜなら、自分の存在・存続がすべて全能の神様によることを知って、このお方に対する畏敬の念をもち、謙って生きることができるからです。無から有を生み出すことができる神様は、私たちに信仰を与え、救いを与え、永遠の幸福を与えてくださいました。それは神様の用意してくださった救いの方法、御子イエス様が流してくださった血のちからによります。この偉大な救いを、私たちは今日もお祝いすることができるのです。
イエス様を信じ、神様によって新しく創造された私たちは、この世界にある限り、全能の神様に依存して歩んでいきます。神様の全能は、弱い私たちのうちに働き、私たちを通してあらわされるのです。(IIコリント12:9; エペソ3:20) 神様の全能は信じる私たちを最後まで護り(IIテモテ1:12; ユダ24)、そして(肉体の死を経験しても)やがて必ず復活を可能とするのです。(Iコリント6:14)

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