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恵みの手段とは、神様が定められた信仰生活を保つための具体的な手段のことを言います。これには、①みことばと②祈りが含まれます。(この定義においては、救われていることが前提となりますが)今回はみことばが人の救いの手段であることについて(特にローマ1:16から)学びます。
みことばは神の力: 神様のことばには、神様の力があらわされています。神様のことばには、究極の祝福・肯定的変化をもたらす超自然的力があるのです。みことばが人の心に取り込まれる時、神様の働きが開始されます。人の心に聖霊なる神様が働かれ、神様の御心(みことば)を行うように促し励ますのです。
みことばは救いをもたらす神の力: 神様だけが、人の罪深い性質を圧倒し、新しいいのちを与えることができます。みことばには人を究極の解放へと導く力があります。みことばは、①失われた状態から、②神様の怒りから(ローマ5:9)、 ③意図的な霊的無知から(IIテサロニケ1:8)、④わがままで放縦な生き方から、 ⑤異教の闇から(コロサイ1:13; Iペテ2:9)、⑥永遠の神様との分離と刑罰から解放するのです。聖書のことばは、単に情報を伝達するのみでなく、受け取る人に応答(行動)を促します。人が、神様について、人(自分)について、そして罪について認識すると、自身の救いの必要とその方法について知ることができます。そして聖霊の働きによって、みことばに提示されている救いの道は真実であることを確信するのです。
みことばは信じるすべての人に救いをもたらす神の力: みことばに神様の力があり、救いの力があっても、人は受動的には救われません。聖霊の働きと促しを受け入れ、信じる選択をする時、神様の力はあらわれるのです。信じることは、一度きりの出来事ではなく継続的状態を言います。真の救いをもたらす信仰とは超自然的なものであり、神様の恵み深い贈り物です。救いは、人の心のうちにもたらされ、これによって神様の義(真の義)を自分のものとすることができるのです。
救われる信仰には三つの要素があります。①知的:福音とイエス様についての真実を理解する。②感情的:罪についての悲しみ、そして神様の憐れみと恵みへの喜びとともに真実を受け入れる。③意志的:イエス様に自分の意思を明け渡し、唯一の救いの望みとしてイエス様のみを信頼する。
みことば(福音)は、この世界の知恵を愛する人々(哲学者)には魅力的ではありません。しかし信じる人は、メッセージを聞き、信仰で受け入れ、新生を体験するのです。この世界には2種類の人が存在します。①救いの過程にあり、栄化へと向かっている人。②滅びの過程にある人。これは一人一人の応答次第です。みことばを拒む人にとってはたわごとですが、信じる人にとっては、力強い知恵となるのです。(Iコリント1:18)
神は人の知恵によってご自分を知ることができるようにはされませんでした。言い換えれば、神様を知るためには人間的な知恵は必要ないということです。神様は、単純で世の中の知者が軽蔑するようなメッセージを通して無力な罪人を救う方法を計画されたのです。(Iコリント1:21)惨たらしい十字架につけられたお方を救い主と見ることができる人は幸いです。(Iコリント1:23)
みことばは本当の知恵を人に与え救いを実現します。(IIテモテ3:15)人は(そして人のたましいは)みことばによって新しく生まれさせられるのです。(Iペテロ1:23; 詩篇19:7)
まとめ:神様の超自然の救いのみわざはみことばを通しておこなわれる
永遠に変わることがない神様のみことばは不変です。神様の救いの方法も不変です。それゆえ神様からの良い知らせ(福音)のメッセージも変わることはありません。みことばは、そのまま真っ直ぐ語り続けられなければなりません。みことばによって神様のちからがあらわされることを願いつつ、聞く者に信仰が生じることを願いつつ語り続けられなければなりません。神様はことばによってこの世界を創造されました。そして同じ神様が、今もなおみことばによって人を死からいのちへと移すことが出来るのです。