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政府や政治に携わる人々への不満が募ると否定的な思いや言動が生じてきます。法律を守り、税金を支払い、一市民としての責任を果たしていくことはクリスチャンにも求められていることですが、どのような心と姿勢でしているかが問われます。神様はクリスチャンに対して、この点においても立派に振る舞うことを求めておられます。イエス様を信じる信仰者としてこの世の権威に従うとはどういうことなのかを考えてみましょう。
① 世の中の権威に従う命令(13-14節):神様は私たちに世の中の権威に従うように命令しておられます。これは神様が喜ばれることです。従うとは、服従の態度に自分自身を置くということです。この世界(国)に住む一人として、また法律と権威の下に身を置く者として、クリスチャンは、神様を信じない、そして敵意があり、中傷する社会にあって、謙虚さと従順さを示すべきです。ローマ皇帝ネロの下で殉教していったであろうペテロやパウロがそのように教えていることは意義深いことです。クリスチャンは、すべての制度・法令・社会規範に従うべきです。それらが明確なみことばの教えに反するのであれば、その場合は従うことを拒絶します(使徒4:18-19)が、そうでない限りにおいて常に決められたことを尊重し、また権限をもつリーダーたちを尊びます。首長たちが、クリスチャンでなくても、彼らは、職務上は「神のしもべ」だからです。(ローマ13:1-4)
② 世の中の権威に従う動機(13,15節):クリスチャンは神様を認めるがゆえに世の権威に従います。クリスチャンは、天に国籍を持っていますが、現在住むこの国で従順な国民として生きるべきなのです。それによって、神様の御名がたたえられます。それはイエス様にならうことであり、世の光となります。もしクリスチャンが反抗的なふるまいをするとしたら、それは神様に対して無礼となります。(ローマ13:2)クリスチャンが世の権威に従うなら、非難を避けることができ、称賛を得ることができます。それによりクリスチャンを貶める理由を探している人たち、信仰に反対する人たちの口封じをすることになります。クリスチャンの聖い生活、立派なふるまいは、クリスチャンでない人々(そして悪魔)の攻撃に対して大きな武器となります。
③ 世の中の権威に従う方法(16節):クリスチャンは主にお仕えする者として、世の中の権威に従います。クリスチャンは“自由人”です。神様の御心を行うことができる自由をいただいているという意味においてです。クリスチャンは、罪の束縛、悪魔、自己中心的な欲望から自由にされました。クリスチャンはイエス様にある自由を楽しむべきです。しかし一方で、その自由を、邪悪なものを隠す覆いにしてはいけないのです。その自由が、自己放縦や権利の主張の言い訳になってはいけません。本当は霊的ではない理由によって、不従順を正当化するようなことがあってはならないのです。クリスチャンは自由にされた者たちですが、神様のしもべでもあります。それは神様の御心を行う義務を負っているということです。誰かのしもべ(奴隷)であることは通常肯定的に受け取られませんが、クリスチャンにはそれができます。なぜなら、イエス様は私たちを罪の束縛から解放してくださったお方、喜びの源であられるお方であり、クリスチャンはこのお方にお仕えすることで真の完全な自由を経験できるからです。(Iコリント7:22)
クリスチャンはイエス様にお仕えすることを念頭に、その延長線上で、すべての人に適切な尊敬を払うべきです。イエス様にあって、兄弟であり姉妹である神の家族に特別な愛を示すべきです。神様が悲しまれることを行うことを恐れ、神様を証しするに相応しくない者となることを恐れるべきです。そしてこの世の権力者を敬うべきです。神様への義務と地上の権威への義務は(通常)衝突しません。クリスチャンはどちらにも従います。衝突する場合においては神様に忠誠を示すのです。(使徒5:29)
まとめ:クリスチャンは主にあってこの世の権威に従う
クリスチャンは聖書の教えに反する行動をする人たちに暴力で反応するようなことをしたり、法令に逆らうようなことをするべきではありません。クリスチャンは、イエス様のしもべとして税金を収め、法律に従い、権威ある立場の者を尊敬するのです。(マタイ22:21)まことの神様を信じないリーダーや政府であっても平和と秩序を求めています。政府が間違った動機でそれらを求めるということであっても、クリスチャンはそこから益を得ることができます。自分が住む自治体や国のリーダーたちのために祈りましょう。(Iテモテ2:1)税金のこと、制度のこと、国会議員の振る舞いなどを見聞きする時に、否定的な思いと発言が沸いてくるものではありますが、クリスチャンは、世の中の人とは違う次元で生きる者たちです。神様が求めておられる立派な市民として、イエス様が喜ばれるがゆえに、イエス様を認めるがゆえに、快く法律や制度に従い、イエス様にあってそれら(彼ら)を尊敬(尊重)し、祝福を祈る姿勢をもつ者でありましょう。