信じることに意味はあるか(マルコ2:1~12)

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イエス様を信じて救われたクリスチャンは、世の中の人とは違う生き方をします。クリスチャンは物事を信仰によって行い、取り扱うのです。常に神様との関係において状況を見、判断し、行動できるのは成熟したクリスチャンの姿です。神様の御心を求めて日々生きる、信仰に生きることの重要さを学びましょう。

*神は信仰を試される(1~4節)
今回の福音書の記事は、イスラエルの北部のガリラヤ湖の北側カペナウムでのことです。ここはイエス様のお働きの伝道拠点となった場所のようです。この時多くの人々が押し寄せているある人の家で、イエス様はみことばを語っておられました。そこに中風(麻痺によって足が不自由)の人が四人の人によって担がれてきました。イエス様に近づくことは困難であると判断した彼らは、屋上に上り、屋根をはがし、穴を開けるという行動に出ます。この四人(そして中風の人)にとって、これは信仰が試される場面です。現代の信仰者も(特に様々な問題を通して)信仰を試されます。見えるところにおいては、経済や健康のこと、人間関係や家族のことですが、一つ一つのことにおいて実は“神様を信じているか、どのように信じているか”がテストされているのです。問題が起こる時にこそ信仰が必要ですし、信仰を働かせる必要が生じます。(“慣れた事柄に信仰は必要ない”のです)私たちには、見えるところで判断して行動してしまう誘惑があります。しかし、イエス様を信じているクリスチャンであるならば、自分の気持ちや損得勘定、または常識によってではなく、まことの神様に対する信仰を表現する歩みをすべきなのです。(ヤコブ2:18)神様は、私たちが問題を抱える中で信じることをお求めになられるお方だからです。

*神は信仰を評価される(5節前半)
中風の人を担いできた四人は“群衆という大きな壁”を前にして諦めて帰ってはいきませんでした。イエス様はこの場面で彼らの信仰をご覧になりました。(屋根をはがして穴を開けたことも当然ご覧になったでしょうが)イエス様は心をご覧になるお方であり、人の霊的な部分を重要視されるお方です。私たちはどうでしょうか。私たちの生活で起こってくる、物質的・肉体的な問題は、神様からの霊的なことへのアラーム(警告音)であることを覚えましょう。それらを信仰によって対応するなら、それこそが神様に心を向けることです。そして抱える問題は祝福へと変わっていくでしょう。私たちに信じることをお求めになる神様は、私たちの信仰を評価してくださいます。

*神は信仰に応答される(5節後半~12節)
イエス様はこの四人(そして中風の人)の信仰に基づいてみわざを行われました。同時にイエス様は、権威あるお方であることをお示しになられました。
イエス様はまず、人の罪を赦す権威を発動されました。イエス様の、中風の人への赦しの宣言からわかることは、この人の心の中でとても重要なことが起こったということです。(聖書の記事にはありませんが)中風の人は神様の前で自分の罪を認め、悔い改め、イエス様を信じたのです。その信仰に基づいて、赦しが与えられました。それこそがイエス様にしかおできにならないことです。(このことは律法学者の議論を引き起こすことになるのですが)
次にイエス様は、病いを癒す権威を発動されました。これは、イエス様が人の罪を赦す権威を持っておられることの証明のためになされたことです。イエス様の権威あるおことば(命令)によって、中風であった人は立ち上がり歩き始めました。私たちに信じることをお求めになる神様は、私たちの信仰に応えてくださいます。

まとめ:まことの神様を信じる者は信仰によって生きる
クリスチャンの信仰の対象であるイエス様は神の御子であられます。今回の箇所で示されているように、イエス様は人の信仰(心)を認識でき、罪を赦す権威があり、人の病いを癒すことがおできになるお方です。
イエス様を信じて生きるとは、私たちの生活のすべてのことが私たちに都合よく解決するということを意味しません。すべてのことが私たちの望むようになるということでもありません。しかしすべてのことを知り、すべてのことの上に働かれる神様は悪いことを用いてでも良いことをされる(良い結果をもたらす)お方です。神様がクリスチャンにお求めになっていることはイエス様を信じて行動することです。すべてを最善に導かれるお方にゆだねて、自分に任されている務めを果たすことです。
信じることに意味はあるでしょうか。もちろんあります。イエス様に信頼し依存して歩むことにこそ生きる意味があるからです。信じるとは、過去のことではなく毎日のこと、継続的なことです。クリスチャンはイエス様に心を向け、信じつつ生きるのです。私たちが、イエス様を信じて前進するなら、次のステップを見せてくださるでしょう。(私たちがイエス様に頼り続けるためにも、神様は始めから全部を見せてくださらないことが多いのです)
あなたは、自分が抱える問題をどうとらえ、どのように見、どう対処しようとしてきたでしょうか。あなたが信じたイエス様、そして今も信じているイエス様がどのようなお方であるかを再確認しましょう。そしてイエス様に対する信仰によって(信仰を土台として)物事をとらえ行動できる者とならせていただきましょう。

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