偏見のない神のさばき(ローマ2:5~11)

※メッセージをお聴きになりたい方はこちら↓(音声のみです。再生中に、広告が入る場合があります。ご了承ください。投稿期間は約2カ月です。)

私たちは他人との接点を持つ時、自分の経験やデータに基づく前提をもってその人を評価する傾向にあるのではないかと思います。その人の年齢や性別、国籍や職業、そして身なりを必要以上に重要視することにより、中立な視点が失われ、正しい評価ができない場合もあるかもしれません。しかし神様が人をご覧になる時、偏見が入り込む余地はありません。それは、さばくことにおいてもです。

*神のさばきの確かさ(5節) 
パウロは、人の罪に対して示されている神様の忍耐を誤解してはならないと言います。神様は弱いわけでも、永遠にさばかないでおられるわけでもないのです。人の神様に対する頑固さとは、霊的“硬化状態”を言います。それは霊的に決して健全な状態ではありません。(マタイ19:8; マルコ3:5; 6:52; へブル3:7~8,15; 4:7)また、人は神様に背を向け、罪を認めず、悔い改めを拒む心を持っています。神様に対して心を閉ざし、イエス様による罪のゆるしを受け取ろうとしない態度です。このような人は、神様の正しいさばきの日に向かって、神様の怒りを徐々に積み上げているのです。このことから、人が罪を重ねるに応じて、神様のさばきの度合いは変わっていくことがわかります。神様の赦しの道を拒み、罪に執着する人は、より神様の怒りを集積し、厳しく正しい最終的なさばきを受けることになるということです。
(へブル10:26~30)

*神のさばきの正しさ(6節)
神様は正しいさばきをされることについては前回学んだとおりですが、この箇所ではそのさばきが、個人的なものであり、一人ひとりの行いに対する完全な評価であることについて教えています。
聖書は、救いは人の行いによってではないと教えていますが、神様のさばきは、常に人の行いに基づいていることを一貫して教えています。(イザヤ3:10~11; エレミヤ17:10; Iコリント3:8; IIコリント5:10; ガラテヤ6:7-9)新しく生まれた者だけが、真に善を行うことが可能です。(ヨハネ5:29)神様のわざ(善)を行うためにすべきことはイエス様を信じることです。(ヨハネ6:28~29)それゆえ、人ができる最初の良い行いは、イエス様を信じることなのです。イエス様を信じない人は、罪に定められ(ヨハネ3:18)、その上で、(各自の)行いは刑罰の度合いを決めるものとなります。

*神のさばきの二極性(7~10節)
神様のさばきの結果は、永遠の祝福、或いは永遠の苦しみです。
祝福の対象(贖われた者):(イエス様による救いをいただいて)善行を継続する人は、尊いものを求め、「永遠のいのち」を得ます。(7節)(救いの結果の)良い行いの忍耐に従って、“永遠のいのちの楽しみ方”が変わってきます。(マルコ10:29~30は、忠実な歩みへの報いと関連して「永遠のいのち」を説明しています)
善行を実践する人は、栄光と誉れと平和を得ると言われています。(10節)その人の善行は(救いの根拠ではなく)救いを裏付けるものです。もちろん完璧ではなく、罪を犯す傾向にありますが、生活には明白な義の証拠が存在しています。
のろいの対象(贖われていない者):利己的な野心を持つ人は、不義に従い、神様の怒りと憤りを招きます。(8節)このような人は自身の行動が他人にどのように影響するかを顧みず、金のために事を行います。神様からの真実を信じず従いません。不義に従う人の人生は、争い、口論、不従順に特徴づけられます。この人は、燃え上がる憤りの対象です。悪を行う人は、苦難と苦悩を招きよせることになります。(9節)ユダヤ人は、福音を聞き応答する最初の機会を与えられました(1:16)それゆえ、もし福音を拒むのであれば、神様のさばきを最初に受けることになります。(アモス3:2)イスラエルは(より偉大な光と祝福を受けた者として)厳格な罰を受けることになるのです。

神様は、外見や印象だけで人を決めつけることはありません。立場、富、影響力、人気、外見によってその人を扱うということもありません。神様の正しさによる公平な扱いはこの点においても確かです。(使徒10:34; ガラテヤ2:6; Iペテロ1:17)表面的なことが、神様の判決に影響を及ぼすことはないのです。

パウロは、ユダヤ人に対して、契約の民に属していることが、神様に受け入れられていることの保証にはならない、そして律法を持っていること、割礼を受けていることが、神様に属するものであることを保証するものではないと述べています。信仰のみが神様の前に価値があり、信仰によって人は神様の民に属する者とされ、神様の怒りを逃れることができるのです。

まとめ:神様のさばきの公平さは、神様にお仕えすることの大きな動機付け
クリスチャンであってもなくても、神様の前における、頑固で悔い改めない姿勢は悲劇的なものです。クリスチャンは神様の怒りを蓄える者ではなく、神様のために生きる者とされたのですから、天に宝を蓄える(永遠に価値のあることのために生きる)歩みをしていくべきです。(この世ではそうでなくても)神様の前に忠実に忍耐をもって正しさを選択していくなら、神様は確実に報いてくださいます。

関連記事

  1. 聖書の神は救いを与えられる⑨:信仰の重要性

  2. 行いではなく恵み

  3. 8月5日 礼拝メッセージ

  4. 7月21日 主が求められる教会

  5. 聖化の意味②:道徳的悪からのきよめ

  6. 4月8日 自由を手放すな

  1. 2025.08.31

    恵みの回顧
  2. 2025.08.31

    偏見のない神のさばき(ローマ2:5~11)
  3. 2025.08.31

    ゴスペルサンデーのご案内
  4. 2025.08.24

    常に正しい神のさばき(ローマ2:1~4)
  5. 2025.08.18

    恵みの回顧

For those who speak English: Although we do not have an English service, we will do our best to assist you when you come to our service. Please contact us.