「神に選ばれた者、聖なる愛されている者」として、今日も教会に集められ、主の成して下さった救いの喜びを感謝しつつ、礼拝をお捧げでき感謝です。
今日の礼拝で、ある兄弟が証しをされました。この兄弟は幼い頃から、教会に集い、クリスチャンのご家族や教会の兄姉に祈られ、愛されて成長してこられました。この兄弟が、仕事の関係で他の地域に移られることとなり、その経緯やこれからの信仰の歩みについての祈りや願いを、今日の証しでお話しされたのです。兄弟がご自分の転勤を通して「信仰の独り立ち」を意識し、神様に拠り頼み、主体性を持って神様に喜んで頂ける歩みをしていきたい、と祈り願っておられる姿を見て、兄弟を「神に選ばれた者、聖なる愛されている者」として取り扱われ、成長へと導いておられる主を崇めました。
私たち1人1人の人生も、主は導いておられます。そして、私たちが私たち自身を神に捧げ、全てを明け渡し、成長し続けていく事を願っておられることを、今日のメッセージを通して教えられ感謝でした。私たちが肉に従って生きるなら、クリスチャンとして残念な歩みとなってしまうが、「聖霊なる神様の語りかけ、教え、導きに従う時、神様が喜ばれる形で霊的に健康で歩むことができます!」とメッセンジャーは語られました。また、「聖さを追求することにおいて、成長し続け、貪欲になるべき」とも仰いました。Ⅱコリント3:8の御言葉にあるように、私達は鏡のような御言葉により、主を知り、主の栄光を見続ける時、イエス様のように変えられていくこと、そしてそれは一気には起こらず、1歩1歩着実に成長していくべきことも確認できました。私自身、また教会の個々が、自分の霊的成長をもっと貪欲に追い求め、主イエス様に似た者となることを主は願っておられます。それによって教会が整えられ成長し、教会外においても影響を与えることができる1人1人となっていきたい!と願います。
ある歌に「一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる」という歌詞がありますが、私は成長を願っても、3歩進んで2歩下がるような弱い者です。めざましい進歩が難しい者で、小さな1歩かもしれません。そうであっても、その1歩が確実なものであることを願います。今週も私たちと共に歩み、成長を願い従う者には必ず助けを与えてくださる主に信頼し、栄光から栄光へと変えて下さるこのお方だけを見上げて歩むことができますように。