恵みの回顧

今年のイースターは3月31日です。
そのイースターに向けて、ミュージックベルの練習をしています。ミュージックベルはコロナ禍になってから、声を出しての賛美が難しい状況になり、違った形で賛美出来ないかということで始まりました。クリスマスなどで数曲を演奏しましたが、色々な状況によりしばらくお休みしていました。でもまたやりましょう!と声をかけてくださって、私も仲間に入れていただきました。初めて演奏するメンバーも加わって、大丈夫かな?という心配をよそに、練習は順調に進んでいます。感謝です!

今回これを恵みの回顧の題材にしようと思ったのは、ふと”教会生活と似ている”と思ったからです。
ミュージックベルは一人では出来ません。ピアノやバイオリン、トランペットなどはソロでの演奏が可能ですが、ミュージックベルは絶対と言っていいほど一人では無理だと思います。いくつもの音階がある美しい賛美の旋律を一人で奏でることは出来ません。教会生活も、一人では成立しません。複数名がいなければ、キリスト様のからだである教会と言うことは出来ないと思います。
またミュージックベルは一人が1~3音くらいを担当して(レベルが上がればもっとたくさんの音を担当します)、正しいタイミングで音を鳴らす必要があります。教会はそれぞれ違った役割の人たちが存在し、さまざまな奉仕を担うことで成り立っています。今日の礼拝メッセージでもそのことに触れられました。色々な奉仕をしておられる奉仕者、見えるところだけでなく、見えない部分でも奉仕をしてくださっている兄姉のために祈りましょう、と。ミュージックベルもメロディなど目立つ音だけが必要なのではなく、違う音が入り和音になることによって、美しいハーモニーが生まれます。誰一人不要な人は居ないのです。
もう一つミュージックベルでは、お互いの音を聞きながら、またリズムに合わせる必要があります。これも教会生活において、非常に重要な部分だと思います。主にある兄姉の状況に心を配り、理解し、受け入れ、心を合わせる。その目的は神様のご栄光が現わされるためであり、神様が喜んでくださるように・・・です。

・・・こんなことを考えながらミュージックベルの練習をしていて、さて霊的にはどうかな、と反省を促されました。
教会の一員、群れの一人としての自覚がどこまであっただろうか。不協和音のような存在になっていないだろうか。何をするにも神様の御心の正しいタイミングで行っているだろうか。主にある兄姉のことを思い、顧み、とりなしの祈りをしているだろうか。常に主のために心を一つにする姿勢を保っているだろうか。色々な思いが溢れてきますが、それは神様が私を「キリストの似姿へ」と導いてくださっている過程の一つなのかもしれないと思いました。ミュージックベルという一つの楽器から学ぶことがあったのは、大きな発見でもあり祝福です!些細なことからでも、神様はたくさんの学ぶべき教材を備えてくださっているんだなということを感じました。

今日もすべてが整えられ、礼拝を護ることができた祝福を感謝します。
今週与えられる経験の中でも、「キリストの似姿へ」成長させてくださいますように。

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