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祈りは信仰生活の中で非常に重要な要素でありながら、しばしば疎かにされるものです。祈りが乏しければ、私たちから神様にお伝えすべき事が乏しくなるのは必然です。神様が定められた、信仰生活を保つための具体的な手段には祈りが含まれることを学んでいますが、今回は交わり/感謝について学びます。
交わりの例:アブラハムは、ソドムとゴモラのための祈りにおいて神様と交わっています。(創世記18:22-33)ソドムとゴモラへのさばきに関連してアブラハムは神様と会話を交わしているのです。
神様はモーセとも会見されました。(出エジプト記25:22)契約の箱の上にある「宥めの蓋」(贖罪書)を挟んでなされたのです。モーセはシナイ山においても神様と語り合いました。(出エジプト記31:18)
感謝の例:交わりには感謝が含まれます。旧約聖書では“感謝の歌”として、ミリアム(出エジプト記15:21)、デボラ(士師記5章)、ダビデ(IIサムエル記23章)の感謝が記録されています。
感謝の命令:祈りを通して神様への感謝を表現することができますし、そうするように命令されています。
エペソ5:20では、御霊に満たされる結果の一つとして感謝が挙げられています。
感謝は(賛美がそうであるように)いつでもどんな状況でもなされるべきです。ダニエルは普通では感謝できないような状況の中でも(それまでしていたように)神様に感謝をささげました。(ダニエル6:20)
感謝は、すべてのことについてなされるべきです。特別だと感じることのみでなく、“普通であること”について、また普段当たり前だと思っていることについてすべきです。問題を抱えた時でも、もっと酷い事態を想定するなら感謝の心が与えられるでしょう。逆境における感謝には、“想像力”を働かせる作業が必要でしょう。逆境を感謝するには御霊(神様)のちからが必要です。逆境が神様の良い意図のもとに与えられていると知るなら感謝が湧いてくるはずです。
感謝は、主イエス・キリスト様のお名前によってなされるべきです。神様への祈りはイエス様を通してささげることができるからです。このこと自体イエス様の救いのみわざに依存しているのです。
感謝は、父なる神様に対してなされるものです。まことの神様を知らなければ、人は“自然の恵みに感謝する”が精一杯です。目の前の辛い状況も神様がゆるされていると認めるなら神様のお取り扱いを感謝できるでしょう。同じ状況に置かれても、文句を言うか、それとも成長の機会ととらえ神様の御思いを汲み取るかは私たちの選択次第です。
ピリピ4:6では、感謝の伴う祈りをささげることが教えられています。困難も神様の目的の中でのことであると認識し感謝するのです。祈る時の心のあり方が重要です。すでに与えられている神様についての知識、そして与えられている祝福を念頭に置きつつ祈るのです。神様への感謝を土台とし、感謝を伴って、賛美をし、願い、とりなすのです。すでに受けた神様からの祝福を当然のことと思わず、それらを覚えていることができるならば、“また祈りを聞いてくださる”という確信をもって神様に申し上げることができるはずです。
コロサイ4:2では、“祈ることにささげなさい”と命令されています。この箇所でも感謝の伴う祈りついて教えられていますが、すでに答えられた祈りについての感謝のみでなく、まだ答えられていない祈りについても信仰をもって神様に感謝するのです。神様は私たちの祈り以上のことを行うことができるお方であり、私たちが祈らなかったことまでして下さるお方であると信じて祈るのです。粘り強い祈りの姿勢は神様への信仰のあらわれです。
まとめ:感謝の祈りは神様の恵みを数える信仰者の口にある
私たちの心が神様への感謝で満たされ、その感謝が自然なかたちで表現されることは素晴らしいことです。神様は私たちに、喜べる時だけ喜び、祈りたい時だけ祈り、感謝だと感じる時だけ感謝するように、とは言われていません。(Iテサロニケ5:16-18)私たちの祈りが常に感謝であふれるようになるためには、普段から神様の恵みを確認する作業が必要です。そのようにすることで、神様が望んでおられる、豊かな感謝の祈りをおささげすることが信仰生活に定着することとなるでしょう。