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どのチームも欲しがるようなスポーツ選手に対しては精一杯の誠意と評価を示します。そしてその選手がチームに入ることが決まったならば歓迎の意をあらゆるかたちで盛大にあらわします。一人の選手の存在がもたらすであろう良い効果を期待するからです。
イエス・キリスト様は、すべての人が必要としている救いと永遠の幸いのためにこの世界に来られました。しかし、イエス様は“華やかな”歓迎を受けたのではありません。むしろ逆のことが起こりました。罪人の救い主として来られたイエス様が、誕生から死に至るまでどのような取り扱いを受けられたかについて学びたいと思います。
救い主はどのようにして生まれたか: 神の御子であられるお方は家畜小屋でお生まれになりました。誕生にあたって「ユダヤ人の王」に部屋が提供されることさえなかったのです。(ルカ2:7)イエス様がお生まれになった時に最初に訪問し礼拝したのは羊飼いたちでした。(ルカ2:15-16)国のリーダーたち、宗教指導者たちの姿はそこにありませんでした。イエス様は生まれて早々に命を狙われることになります。(マタイ2:13)羊飼いたちや東の博士たちは礼拝のために救い主を探しましたが、ヘロデ王は殺すために探したのです。
救い主はどのように対応されたか(ヨハネ1:10-12; 3:32; 5:43; 12:37; マタイ8:34; 23:37; マルコ12:7; ルカ4:29; 23:18; イザヤ53:3; 使徒13:27):
拒絶:認知されないーイエス様はこの世界をお造りになった神様で、被造物はすべてイエス様のものですが、この世界の人々はそれを知りませんでした。
拒絶:信仰されないー人々がイエス様を正しく認知できなければ、神として信じることなどできません。イエス様はユダヤ人の血筋の者としてお生まれになりましたが、ユダヤ人たちは、救い主のご人格と到来について述べる(旧約)聖書を持っていながらこのお方を信じることができなかったのです。イエス様は、天から来られたお方であり、すべてのものの上におられるお方であられるのにです。
拒絶:軽蔑され、のけ者にされ殺されるー人々はイエス様を嫌い、顔を見ることさえはばかりました。救いの源であられるお方に対して、憎しみを伴う拒絶を示したのです。そこには罪人のために肉体をお取りになったお方への崇敬の念はありませんでした。
イエス様は行く先々において敬遠され、敵意の対象となり、最後には命を奪われることとなりました。
まとめ:“招かれざる救い主”はあなたを永遠の幸いへと招いてくださった
クリスチャンは、まことの神様がこの世界に送ってくださった御子イエス様を知ることができ、信じることができ、礼拝することが出来る者とされました。世の中が価値を認めない、歓迎しないお方に救いを見いだすことできたことはなんと素晴らしいことでしょう。受け入れない人にとって、家畜小屋で生まれ、十字架で死なれたイエス様を信じることは“愚か”であるかもしれません。しかし神様の視点においては、人が出来る唯一の、そして最高の選択なのです。